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Brand Story: File 1...SMITHS
2014.07.31 Thursday | category: Brand Story

advintageでご紹介している腕時計の中には、それほど有名ではないブランドや、ローカルな市場で流通していた特殊なメーカーのものが多く含まれています。それらは確かな技術と品質はもちろんのこと、独特のデザインや個性的な表情など魅力に溢れた存在です。それらのメーカーやブランドの背景を知ることで、その魅力も深みが増すのではないかと思います。今回はスミスの歴史についてのご紹介です。
 

 

 


スミスは知る人ぞ知る英国の時計メーカー。英国好きの方にはおなじみかもしれませんが、一般的にはそれほど知られた存在ではないようです。1851年にサミュエル・スミスがロンドンで創業した宝飾品・時計販売店からその歴史はスタートし、その後息子のサミュエル・スミス・ジュニアが事業を継承し、1899年に《サミュエル・スミス&サン》としての会社組織が誕生しました。
 

 

 

 


同社は時計関連事業を成功させた後、1900年前後にちょうど勃興し始めていた自動車産業にも手を伸ばします。その時計製作技術を活かして自動車の計器の設計や製造を行い、イギリスで初めてオドメーター(走行距離計)の開発に携わったのも、サミュエル・スミスの息子、アラン・ゴードン・スミスでした。スミスによって開発されたスピードメーターは、当時の国王エドワード7世の愛車に搭載されるなど自動車関連事業でも信頼を高め、1914年には《S・スミス&サンズ・MA(モーター・アクセサリーズ)》という会社を立ち上げます。

当時勃発していた第一次世界大戦を背景に、同社は自動車や航空機の計器、クロックといった軍需関連における様々な機械製造をコアビジネスとして、複数の子会社とともに成長。本来の宝飾品の製造販売事業については、1932年に同じ英国の宝飾品店《ブラヴィントンズ》に敷地を売却し、事業の縮小が図られていました。戦時下の苦渋の決断でもあったのでしょう。

 

 

 

 


高まる軍需産業に呼応して、それまでスイス製(タヴァンヌ社)に依存していた脱進機(escapement:ムーブメントの中枢部)からの脱却を図り、その国産化の機運が高まります。1928年にスミスが設立した子会社《オール・ブリティッシュ・エスケープメント・カンパニー》は、スミスによる脱進機およびムーブメントの国産化のさきがけとなるものでした。1931年には新たに《スミス・イングリッシュ・クロックス》社(後のスミス・クロックス&ウォッチズ)を設立。第一世界大戦の際に設立されたクリックルウッドの工場をメインに、自動車計器や航空機のコックピットクロックの国内自社一貫・大量製造を開始します。

第二次世界大戦までは主に軍事関係の計器製造を中心に、イギリス有数の大企業に成長した成長していったスミス社。戦後は新たに民生用に向けた製品の開発を迫られ、それまでの精密計器製造のノウハウを活かして進められたのが、腕時計や懐中時計でした。

1947年、スミスの腕時計を代表する傑作ムーブメントが完成します。「キャリバー12.15」と呼ばれるこの高品質ムーブメントの名称は、「12リーニュ(約26mm)、15石」という仕様から命名されたもので、英国初の国産腕時計ムーブメントとなりました。このムーブメントはアップデートを加えられ、1951年からスミスの最高級モデル「デラックス」に搭載されます。主にチェルトナムの工場で量産され、1953年のエベレスト登頂の際にエドモンド・ヒラリーが着用していたことでさらにその知名度を上げました。
 

 

 

 

 


しばしばスミスのムーブメントはジャガー・ルクルトの技術提供によって完成したという誤解が散見されるようですが、両社の公的な技術提携の事実は存在していません。この誤解を生んだ原因は、スミスで長くテクニカルディレクターを努めたロベール・レノア(Robert Lenoir)という技術者の存在が大きかったと思われます。

スイスで時計製造技術を学んだ彼は、フランス・パリに存在していた時計メーカー《ジャガー(JAEGER)》社で自動車計器の脱進機の開発に携わっていました。1921年に彼は英国へ渡り、ジャガー社のイギリス支社《エドモンド・ジャガー・ロンドン》社(後のブリティッシュ・ジャガー・インストゥルメンツ社)でディレクターを務めます。しかし、英国製脱進機の自社製造を狙うスミス社が1927年に同社を吸収、レノアはそのままスミスの技術者として雇い入れられることになります。

このことが「レノア=元ジャガー・ルクルトの技術者」という誤解を招き、まことしやかに両社の技術協力関係が謳い文句として一人歩きしたようです。そもそも彼はジャガー社の自動車計器類が専門であり、腕時計という新しい分野においてはほとんどタッチしていなかったというのが通説となっています。もっと言うと、彼が働いていた時分は「ジャガー・ルクルト」のブランド成立(1937年)以前の話。
☞レノアに関するエピソードについてはこちら

ともあれこのハイグレードなムーブメントの開発により、従来からスイス製のムーブメントを積んだ腕時計を販売していたJ.W.ベンソンやアスプレイといった英国の宝飾品店なども、スミス製ムーブメントを搭載した純国産腕時計をリリースすることが多くなりました。それだけ英国製時計がイギリス市場に愛されていたことが窺い知れます。

しかしながら、この成功はそう長くは続きませんでした。戦後優れた英国製の腕時計を生み出したスミス社でしたが、主にアジアからの安価な部品の輸入が増えることで腕時計製造事業は業績が悪化。1968年から徐々に同事業から撤退することとなります。その短い運命も、スミスの腕時計の魅力に拍車をかけているのかもしれません。

 



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