そしてこの28mmサイズの定番といえばミドー。ほぼ全てフランソワ・ボーゲルがケースを手掛けており、このサイズが特に多く揃います。デザインのバリエーションも豊富。
中でも1930年代を中心としたアール・デコのシリーズは適度なボリューム感と使いやすいスペック、それでいてオシャレなルックス。当時エルメスがラブコールを送ったのも頷けます。
こういう小ぶりな腕時計の魅力は、使っていてなかなか飽きがこないところにもあります。かなりの存在感を放つステップドベゼルは、ラージサイズよりもあえて28mmのサイズがおすすめ。ケースフォルムが縦に厚みを帯びていてコンパクトなボリューム感というユニークな存在感を持ち、何よりファッショナブルかつノーブル。
今月のテーマ"28"は多くの方からご好評いただきましたが、特に反響をいただいたのがサブテーマのマイクロウォッチでした。自分の中では久々に納得のいく新しいジャンルを開拓できた気がしますが、実際お客様にとってはどう映るのか心配もありました。
ヴィンテージウォッチの謳い文句といえば、「悠久の時を経た一点物」とか「人生と共に時を刻む」みたいな壮大なテーマを想像しがちですが、もうちょっとvanityで軽やかなイメージで捉えてみてもいい。ヴィンテージウォッチはそれくらいの懐の深さがあると思います。
]]>
このスタイルがやってみたくて。
28mmよりもさらに小振りな、25mm以下の "Micro Watches" for men。
現代だと確実にレディースサイズ。ラグ幅は14mm程度でベルトも細いし、1940年代当時もおそらくメンズサイズというわけでもなさそう。ただ、今の時代なら「マイクロウォッチ」とあえて呼びたい。ボーイズサイズなんていう便宜的で曖昧な俗称は嫌です。
シナトラ御大のキャラクター依存が大きいかもしれませんが、腕まくりしたサファリシャツにネクタイというラギッドなスタイルにマイクロウォッチ。果てしなくお洒落。そして腕時計と好対照なゴツいリングが全体を取り持っているようにも見えます。
もちろんただケースが小さければいいってわけではありません。レディースサイズ並みのケース仕様にもかかわらず、男前なルックス。これです。正直言って全然出てきません。
「汎用性が〜」とか「いつの時代も流行り廃りのない〜」みたいな耳障りのいい言葉は一切無視の腕時計。スマホの普及で腕時計のアクセサリーとしての側面も強調され始めている今だからこそ提案したいアイテムです。
まだまだマンスリーコレクションで出せるような数が揃っていませんが、早くこのスタイルをお披露目したくて今月のサブコレクションでのご提案。
]]>
今月はadvintageのセレクトの象徴とも言える小振りな腕時計たちの中でも、1940年代まで存在していたメンズウォッチの28mmという極めて個性的なケースサイズの腕時計にフォーカスします。
40mmを超えるサイズが跋扈する現行のメンズウォッチラインからすると、この28mmという大きさはミッドサイズというよりもむしろレディースウォッチに近いと言えますが、実は男女問わず多くの日本人の腕に非常に馴染むという奇跡的なサイズなのです。
1950年代以降は徐々に腕時計の大型化が進み、メンズウォッチの基本設計は30mm以上が増え、この28mmのケースサイズは姿を消します。特にadvintageのセレクトはアール・デコ期に製造された腕時計が多く、そのデザイン性もこのジャンルと深くリンクしていますが、この腕時計のポイントは腕に乗せた際の時計部分と腕の地肌、そしてベルト部分、三つの面積のバランスにあります。これある種の黄金比を持ったとき、その独特のデザインと相まって絶妙な美しさを放ちます。
たぶん、現行品のサイズ感に慣れた方の場合、初見だとその小振りなサイズに驚かれると思います。しかし30分ほどこのラインナップを観察したり試着したりしてじっくり向き合っていただくと、いつの間にかその絶妙なサイズ感が心地よいものになってくる。そんな不思議な魅力を持つ腕時計たちです。
]]>
トランクショーのお知らせです。
今回の舞台は京都のシューシャイン&メンテナンスショップ "HARK" 。靴磨き日本選手権で優勝した日本一のシューシャイナー、寺島直希さんのお店です。
寺島さんはadvintageで出会ったチューダーに惚れ、その腕時計を相棒に日本一を手にされました。彼のシューシャインはまさに魔法。靴がみるみる輝いていくのを間近でみると、誰しもが魔法にかけられたかのような興奮を体験すると思います。そしてその所作の美しいこと。
今回のトランクショーでは、実際に銀座店に寺島さんがお越しになり、当店のアイテムから琴線に触れる腕時計を選んでいただきました。そのいわば「寺島セレクト」を京都にお持ちしたいと思います。
機会が合えば、是非。
"advintage at HARK"
開催日: 2022年2月25日(金)〜27日(日)
時 間: 11:00〜20:00 (最終日は19:00まで)
場 所: HARK KYOTO (京都府京都市中京区三条高倉東入る桝屋町53-1 DUCEMIXビルヂング401)
電 話: 075-606-5075
URL: https://www.instagram.com/hark_kyoto/
※期間中advintage銀座店はお休みです。
]]>
今月のテーマは、"D-Uhren"としました。ドイツの腕時計です。
昨今ドイツ発の腕時計メーカーが躍進し、特に高い評価を受けていますが、ヴィンテージというジャンルにおいてはそれほど注目が集まっていません。有名なのはユンハンスくらいで、それ以外はよく知られていないからなんでしょう。
今回のタイトルは、そんなドイツの腕時計の魅力を"D"というアルファベットに込めました。
ドイツにはプフォルツハイムという、宝飾品や精密機械などの工房が集中する工業都市があり、以前からMADE IN GERMANYのムーブメントの製造が行われていたこともあって、ユンハンス以外にもさまざまなジャーマン・ブランドが存在します。まずはそれを知って欲しいのがひとつめのD。"Deutsche"のDです。
ふたつめのDは、"Dienstuhr"。ドイツ国防軍向けに製造された、いわうるサーヴィスウォッチです。このジャンルでよく知られるのが、"DH"の刻印が裏蓋に刻まれたドイツ陸軍のシリーズ。
僕は個人的にミリタリーウォッチはドイツ軍が一番好きで、「ミリタリーウォッチらしい」ミリタリーウォッチだと思います。わかりやすくかっこいい英国軍のダーティ・ダースなんかと違い、圧倒的に土臭いデザイン。無骨な野武士のような存在感。本来的な意味でガチの男の腕時計という印象です。
そういう意味で、ドイツの腕時計は質実剛健で実用本意という向きが強いイメージ。というか、そういうドイツの腕時計が個人的に好きでセレクトしてしまっているのかもしれません。それが最後のD、"Die Uhr"。「ザ・時計」。決して派手じゃない、でも飽きの来ない懐深いデザイン性は本当に魅力的で、なんだかんだで一番使ってる。そんなジャーマンウォッチの魅力が少しでも伝わってくれたら。
]]>
フランソワ・ボーゲルのオクタゴナルケースを使った腕時計は、特にその傾向が顕著で多くのマイナーブランドがリリースしています。ボーゲルケースはご存知の通りパテック・フィリップも実際に採用していた気密性の高いスクリューバックケースがウリで、デザイン性が高くそのバリエーションも豊富。
オクタゴナルケースはこれ以外にもありますが、特にこのモデルは文字盤以外の全てを直線で構成しているため、基本的にケースフォルムは多角形であり多面体でもあるということで、今回のテーマを体現しています。
見る角度を変えていくとひとつひとつの平面が生み出す光と影が移り変わり、それだけで飽きさせない奥行きを感じる稀有なケースデザイン。スクリューバックゆえの肉厚さも、その存在感に拍車をかける重要な要素です。
同じスクリューバック式のオクタゴナルケースで、トノーシェイプ(いわゆるバイセロイケース)に近くもう少しドレッシーに寄せたのがこちら。 "LL"という今のところ情報がほぼ皆無という謎のケースメーカーですが、そのスタイリッシュでシャープなデザイン性はむしろ現代にも通じるタイムレスな存在感。
ちなみにバイセロイケースといえばロレックスのバブルバックに代表されるケースデザインで、樽型のシルエットに平面のベゼル、ラウンド形の文字盤を合わせたもの。本来平面であるバイセロイケースのベゼルにアール(曲線)を加えるとどうなるかというと、こちらのようになります。
ステンレススチールの硬質感と、アールに削り出された滑らかな曲面のコントラスト。いままで様々なケースデザインを見てきましたが、この組み合わせはほとんど見たことがありません。特に硬度の高いステンレススチールをアールに削り出す技術あるいは工作機械は、1940年頃には希少だったことが主な理由として考えられます。
クッションケースも角形ケースというジャンルのひとつとしてカテゴライズされることが多いですが、そのスタイルもさまざま。なめらかな曲線を描くフォルムのものが多い中で、あえて角を作ることで多面体の側面を持たせたものは非常に新鮮です。
最後に外せないのがレクタンギュラー。このジャンルにも多くのバリエーションがありますが、今回セレクトしたのはいわゆる「タンク」デザインで、H構造の強い直線的なケースデザインです。特に必見は防水構造をもつレクタングルケースで、大変な工夫を凝らした結果極めて複雑な(あるいは組み立てが非常に面倒くさい)仕組みとなった個体。レクタンギュラーのドレッシーな印象を塗り替える、肉厚で無骨、力強い存在感があります。
レクタンギュラーウォッチというと、玄人志向っぽくてとりあえず最初の一本を選ぶ際には真っ先に外される不遇なイメージ。
「いやそんなことないんだ、レクタンギュラーの魅力は・・・!!」なんて言ってマイナーイメージの払拭のために奔走するつもりはありません。そうするとマイノリティの魅力を否定することになるから。
これはヴィンテージ全般の魅力に通じると思うのですが、じゃあヴィンテージの魅力ってなんだろう?と問われると、なかなか本質的な答えに窮すると思います。作ろうと思えば現代でもリプロダクトは可能だし、実際にそういうものも多数存在している。デッドストックと現行品の新品の違いは何なのか。
となると、最終的には「風合い」とか「ロマン」というごく普通の答えになるわけだけど、それが万人が共有する感性じゃないというところにヴィンテージの魅力が詰まっているんだと思います。もしヴィンテージがありふれていたら、その時点でヴィンテージの価値はなくなって、ただの中古品になる。僕が思うヴィンテージの魅力とは、ごく一部の限られた人たちだけで共有する「秘密」のようなもので、マイノリティであることが前提です。だからあえてその魅力を一般化せず、わかる人だけで味わうのがその存在意義だと思います。これはある人物からの受け売りですが、たぶんそれが一番本質に近い答えだと思う。
本筋から大きく飛躍してしまいましたが、僕が今年最初に掲げた今月のテーマには、そういうマイノリティの美に改めて注目していきたいという欲望も込められています。結局は腕時計のデザインや造形に収斂していくのですが、それに注目していくと、もはやメーカーやブランドは二の次になってきて、そのモノ自体の良さを直観することができる。もちろんムーブメントのクオリティは確保しつつ。それが楽しくてadvintageのモチベーションになっていることは確かです。
そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。
]]>
今回の舞台は北海道、札幌。そこでヴィンテージショップと言えば知らない人はいないであろう名店〈アーチ〉の市電通り店です。アーチが誇るハイクオリティで重厚なヴィンテージ&コンテンポラリーウェアのセレクトと、advintage のヴィンテージウォッチのコラボレーション。その化学反応にご期待ください。
今回は初めて東京を出て、僕自身も現地で店頭に立ってご案内します。
そのため期間中の銀座店はお休みとなります。
そして北海道の皆さま、ぜひこの機会に advintage のコレクションとその世界観に直接触れていただければと思います。あいにくすべての在庫をお持ちすることが難しいのですが、事前にご連絡をいただければピックアップしてお持ちすることも可能ですので、お電話かメールでご気軽にお申し付けください。
開催日: 2021年12月17日(金)〜19日(日)
時 間: 12:00〜20:00
場 所: ARCH 市電通り(札幌市中央区南1条西13丁目 三誠ビル1F)
電 話: 011-233-3027
URL: https://archstyle.tv/store
テーマは「黒の陰影」。
ミリタリーウォッチの代名詞とも言える黒文字盤の腕時計が今月のテーマですが、本来はドレスウォッチ由来の高貴なデザイン。インデックスのコントラストを強めることで腕時計としての視認性に優れる特徴からミリタリーやスポーツなどのユーティリティユースに多様される「用の美」として知られます。
ブラックギルトダイヤル、あるいは鏡のような表面からミラーダイヤルとも呼ばれる漆黒の光沢をたたえたものは、そのシックで美しいルックスから高い人気を誇ります。中にはいわゆる「下地出し」で仕上げられた光り輝くゴールドやシルバーのインデックスも特徴として語られます。
下地となるゴールド等の文字盤に特殊なコーティングインクでインデックスを描き、その上にブラックの塗装を施した後、最後にコーティングだけを専用の溶剤で落とすと下地のゴールドがインデックスとして描き出されるという、非常に手の込んだ製法です。
単なるプリントの場合、摩擦や経年劣化などによってインデックスが薄くなったり消えたりすることがありますが、下地出しの場合その心配はなく、漆黒の文字盤にインデックスがくっきりと光を受けて浮かび上がる独特の美しい文字盤を永く保つことができます。多少暗かろうと視認性を損なわない利便性に加え、高級感を兼ね備えた人気の高いディテールのひとつ。
それはまるで夜の湖面を思わせる底の見えない深い黒の美しさもさることながら、その上に脚光を浴びて引き立つ夜光塗料や下地出しのゴールドインデックスが、まるで湖面に浮かぶかのように映ります。
また中には長い年月を経てさまざまに変化したユニークな表情を持つ黒文字盤も存在します。微妙に茶色づくものやうっすらと白みを持つもの、マーブルのような模様、マットな表情などを持ち、まるで印象派の絵画のように様々な陰影を持って揺らぐ、高い芸術性を内包するものも存在します。
たとえば先にあげたブラックギルトダイヤルの中でも特にごく一部に見られる経年変化に、ギャラクシーあるいはガルヴァニックダイヤルと呼ばれるものがあります。経年によって表面の光沢層にひび割れが起き、それが細かく連鎖することで銀河の星々をたたえた夜空のような芸術的な模様を描きます。
曇りのない漆黒の美しさもさることながら、こうした経年変化によって生じるパティーナの美を持つ黒文字盤の魅力もまた、じっくりと味わうべき価値があります。
11月7日(日)と11月8日(月)は所用により銀座店をお休みします。
ご不便をおかけいたしますが、何卒宜しくお願い致します。
]]>ご予約をご希望の方は、前日までにメールかお電話でお申し込みください。
週に一度の贅沢なひとときを、是非。
※日曜以外はこれまで通り事前予約は不要です。
]]>
1930年代という時代は、腕時計にとって最初の最も重要な進化の過程、つまり第一次世界大戦をきっかけに生まれた紳士用腕時計の雛形が、アール・デコというデザイン潮流を経て定型化が進み、一つの完成を見た百花繚乱の時代です。
そのフォルムは30mm前後という、収まりが良くやや小振りなケースサイズに、ラウンドそしてレクタンギュラー、オクタゴンといった多角形、クッションケース、そして多種多様なラグデザインなど、現在では考えられないほど手の込んだ実に多くのバリエーションが、様々なメーカーによって生み出されました。
文字盤デザインはアール・デコに彩られ、幾何学的な線の配置を駆使した凝縮感のあるデザインが流行。ツートーン仕上げを織り交ぜることで、文字盤上に余白をあまり設けず、実にグラフィカルな印象です。それはまだ、腕時計が契機としての役割の第一線に立っていたことを象徴します。
ちなみに、女性が身につけるラグジュアリーな装身具の一つであった1900年代初頭の腕時計から、戦争を経て紳士が着用すべき大義を得た1930年代の腕時計は、ドレスウォッチと言えどもある程度の無骨さや力強さがデザインの中に内在されていました。あるいは男性が持つ時計の代表格であった懐中時計のデザインを流用するものも多く見られました。
よく「ドレスウォッチは三針ではなく秒針のない二針が正統」と言われますが、それは後年の人たちが勝手に言い始めたことで、当時そのような認識は存在していなかったと考えるのが自然。それは当時の資料を見ていると特に実感します。 下は1910年代の広告で、右が紳士用、左が女性用と思われます。この当時は両者にほとんど差異はなく、紳士用が若干大きめ、という程度です。
1910年代から30年代にかけて二針の腕時計も存在しますが、それはあくまでバリエーションの一部であったり、あるいはまだ腕時計ムーブメントが未発達だったため輪列設計の都合上そのようにしたもとの思われます。言うまでもなく、本当のドレスウォッチは今も昔も懐中時計です。
]]>
色々準備してたら、いつのまにか外が明るくなってた。
ギリギリ予定していた荷物、什器の搬入が完了。什器類はまだまだ不十分なので随時追加していきますが、とりあえず10月3日、13:00より新生アドヴィンテージ始動します。
長く続いた緊急事態宣言の解除と同時に銀座店オープンということになりましたが、実際のところ全くの偶然で、たまたまこのタイミングになりました。いろんな方々からのご縁で結ばれた結果だと思います。
あとはこの幸運をカタチにするだけ。まずは長く続けていくことが一先ずの恩返しになると思うので、地道にこの空間をより素敵で居心地の良いものにしていきます。
銀座は急激に活気を取り戻しつつあり、土曜からは歩行者天国も復活しました。宣言が解除されたとはいえ、なかなか人混みに出て行くのはなんとなく怖い気もする。でもそれがちょうどいいと思います。徐々に徐々に、失っていた活気に慣れていけばいい。
なんか変なテンションでスタートしますが、今後のアドヴィンテージの成長を長い目で見守っていただければ幸いです。
では皆さま、銀座でお待ちしています。
advintage GINZA
東京都中央区銀座1-9-8
銀座奥野ビル215
インスタグラムで匂わせておりましたが、ここで重大発表があります。
advintageは、10月から銀座に常設店をオープンします。
場所は銀座一丁目にある昭和初期に建てられた日本有数の名建築、「奥野ビル」の2階の一室。常設なので当たり前ですが、毎日営業します。
営業開始日は10月3日の日曜日。ちなみに渋谷店での営業は、9月28日の火曜日が最後となります。
正直なところ、今回奥野ビルという由緒正しい歴史的な建物の入居者としてadvintageが名を連ねることに対して、僕自身すこし緊張しています。
この出店のチャンスをいただいたのは、つい2ヶ月前。それまで僕は、常設店を持つつもりは一切ありませんでした。コロナ禍ということもありましたが、それ以上に「ここに店を持ちたい」という思える場所が全然なかったのが理由です。そこそこの場所に出すくらいなら、この週に一度というポップアップスタイルを追求した方がもっと面白い表現ができるんじゃないか、と常々考えていました。
そこに突如舞い込んできたのが奥野ビルの215号室のお話でした。ご存知の方も多いと思いますが、奥野ビルといえば昭和の名だたる俳優やアーティストなどが住んでいた「銀座アパート」を前身とし、現在も多くの画廊やアートギャラリー、アンティークショップなどが軒を連ねています。もう、これ以上ない最高の場所です。
1日だけ悩みました。そして次の日、挑戦を決めました。
もうかれこれ5年、週に1日だけというスタイルで渋谷の雑居ビルでひっそりと営業してきました。限られた営業機会でありながら、わざわざ時間を作って4階までの階段を上がってきていただいた皆様には感謝してもしきれません。
これからは銀座で、定休日を除き毎日営業します。10月1日に部屋の鍵をもらうので、内装準備はその日から。そして2日間だけ時間をもらって、10月3日にすぐオープンしようと思います。
本当はある程度準備期間を設けて、内装やディスプレイを完全に作り込んでからグランドオープン、というのが普通なんだろうけど、advintageはもう走りながらやろうと思います。店内什器も基本的に古いもので揃えたいけど、なかなか自分が納得するものが見つかりません。もちろん妥協は絶対したくないから、ある程度完成するまでは多分、ものすごく時間がかかりそうです。
オープン当日は最低限のディスプレイで幾分殺風景だと思います。でも少しずつ作り込んで、徐々に徐々に、その空間も色がついてくると思います。お、前に来た時よりもちょっと雰囲気が出てきたな、という具合に、この銀座店の成長過程を僕と一緒に楽しんでいただけたら。
そういえば前職を辞めてヴィンテージウォッチを始めたのが、2011年の秋。10年目の新しい挑戦。
ぜひご期待ください。
advintage GINZA
東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル215号室
[OPEN]
Mon to Fri 13:00-17:00
Sat & Sun 13:00-20:00
[CLOSE]
Wed
お知らせです。
9月18日、19日(土日)で、渋谷店を臨時営業いたします。
時間はいつもどおり、13:00〜20:00です。
普段の火曜日では出していない懐中時計を含めた特別なラインナップを予定しておりますが、基本的に在庫は全てご用意しておりますので、是非ご気軽にどうぞ。
当店のアイテムでなくても、修理やオーバーホールのご相談も受け付けております。
場所はいつもと同じですが、部屋が隣の403になります。4階まで来ていただければすぐわかると思います。
今月のテーマは「クレイジー・ラグ」。advintageの大好物として自負するユニークなラグを持つ腕時計たち。
advintageのセレクトの特徴のひとつにデザインコンシャスがありますが、特にラグデザインは重要なディテールです。アクセサリーであると同時に器具である腕時計は、あらゆる部分に用途があるためデザインの幅に制限が存在する一方で、昔のデザイナーたちによるこのラグという部位にかけた創意工夫の数々は、目を見張るものがあります。
腕時計を人に例えるなら、文字盤は顔、そしてラグデザインはというと髪型、ヘアスタイルだと思っています。四角四面の七三分けばかりじゃつまらない。ショートカットやロングヘア、くるくるウェービーヘアにリーゼント、そしてスキンヘッド。腕時計にも様々な「ラグスタイル」があります。
ラグデザインについて集中的に語られる機会もなかなか少ないと思いますが、是非この機会にその奥深いラグの世界に触れてみてください。
最近入手したスミスの名機「デラックス」。ランダムボーダー文様が文字盤に彫られたユニークなモデル。
旧イギリス国鉄(British Railways)から、勤続45年を記念して贈呈された、いわゆるプレゼンテーションウォッチで、裏蓋にその刻印が入っています。まあスミスの腕時計ではよくあることで、金無垢ケースモデルの多くは永年勤続表彰で会社から社員へ贈呈されたものがほとんどです。
しかし今回驚くべきは、保証書や専用ボックスだけでなく、贈呈が決まった旨を報告するイギリス国鉄からの手紙や贈呈式の案内、さらに数年後に彼自身が退職する際に行われたパーティの招待案内までが揃っていることでした。きわめつきは、1966年の贈呈式と、その8年後の1974年に行われた退職者記念パーティの際に支給されたと思われる、会場となったウィンブルドンまでの往復鉄道チケットまでが丁寧に保管されていました。
それなりに長い間スミスの時計を集めてきましたが、ここまで揃いも揃った個体は類を見ません。
この腕時計が贈呈されたのは、当時イギリス国鉄サウザン・リージョン(南部地域)に所属していたアーサー・ルイス・チャーチルという人物。付属の手紙からシグナルマン(信号員)の役職に就いていたようです。
ギャランティーカード(保証書)は、当時のスミスの腕時計に付けられていたものと同じもの。日付や名前、住所の記入欄にきちんと記載があるものは意外と少なく、それだけでも骨董的価値が高いポイントのひとつ。
こちらが贈呈式の前年にあたる、1965年12月16日にイギリス国鉄からチャーチル氏に送られた、45年勤続記念品贈呈の知らせ。文面を見ると、「しかるべき内容が刻印された腕時計か置き時計が贈呈される」とあり、腕時計の他に置き時計があってしかも好きな方を選べたようです。知らなかった。
次の書類は、最初の知らせの翌年の1966年9月8日にチャーチル氏に送られた、永年勤続記念品贈呈式の案内。彼の奥様もご招待できるので出欠を教えて欲しいとのメッセージも添えられています。そしておそらくチャーチル氏本人の直筆であろう、受け取った日付までご丁寧に鉛筆で書かれています。ちなみにこの贈呈式の予定日、1966年9月21日は、実際に贈呈された腕時計の保証書の日時と一致しています。
そして次の書類は、腕時計の贈呈から8年後の1974年、チャーチル氏がイギリス国鉄を退職する際に開催された記念パーティの案内です。8月20日に行われるパーティでは、軽食が振る舞われるほか、近親者も参加可能だったようです。
次の書類はカードサイズのメモ書きのような体裁で、セントポーリアの鉢がアーサー(・チャーチル氏)の退職記念に差し上げる旨が、部長のサインと共に記載されています。同じ体裁で無記載のものがもう一枚あったため、おそらく欲しいものを選んで持ち帰ることが許可されていたようです。
そしてこちらが鉄道の無料往復切符です。上の1966年が腕時計の贈呈式、下の1974年は退職記念パーティーの際と思われます。いずれもチャーチル氏の住まいの最寄駅ピーターズフィールドからウィンブルドンまで。そしていずれも二等車。ちょっとケチですねイギリス国鉄。1966年の贈呈式のほうは奥様の名前も記載されており、一緒に仲良く参加したのでしょう。
それぞれのチケットの裏面です。フリーチケットですね。
今回の腕時計に付属していた書類は以上です。
僕自身学生時代に歴史学を専攻していたので、こうした一次資料(史料)を直に分析できることは無性に楽しいことなのですが、それ以上に当時スミスの腕時計がプレゼンテーションウォッチとしてどのようにして贈呈されていたのか、その様子が今回イギリス国鉄の例で具体的に明らかになったことに大きな喜びを感じています。
イギリス国鉄で50年以上、人生の大半を勤め上げたチャーチル氏。事細かな書類とともに大切に保管されていたことから、彼が贈呈された腕時計がどれほど大きな価値があるのかは容易に想像されます。スミスの贈呈から実に45年を経た2021年現在、スミスに魅了されて収集を続けている僕としては、このチャーチル氏にぜひ心から感謝したいと思います。
ほどなくして懐中時計にベルトを取り付けるためのラグを溶接した、限りなく腕時計に近いものも生まれました。当時はリストレット・ウォッチやストラップウォッチといった呼び名で、腕時計を指す言葉は定まっていなかった模様です。
上の時計は懐中時計を腕時計サイズにダウンサイズし、リューズを12時位置から3時位置に変更したものの、その形状は懐中時計そのもの。ワイヤーラグはケースに完全に固定されています。裏蓋がヒンジで繋がっているのも懐中時計のディテールそのままと言えます。
第一次世界大戦時にはすでにこうした形の腕時計が広まっていました。敵軍からの砲火を浴びながら塹壕に這いつくばっている時に、軍用のかさばる防寒コートを着ていたりすると、懐中時計を取り出すよりも腕を伸ばして袖口の時計を見た方がはるかに簡単だったことから、司令官だけでなく兵士にもこうした腕時計が支給されていた模様です。
これらトレンチウォッチのディテールは極めて実践的なもので、戦後のスポーツやアウトドアブームも相まって、そのディテールを継承する腕時計が多数生まれました。
特に目を引くのが、夜光塗料をふんだんに用いた大ぶりなインデックスや針が目立つ文字盤です。
なるべく見間違いが起きないよう、懐中時計で主流だったローマ数字ではなく、一眼で判別できるアラビア数字が採用され、また針は夜光塗料を載せやすいよう、コブラハンドやオニオンハンドと呼ばれる形状のものが多く見られます。これは内側にフレームを通して夜光塗料の剥離を防ぐ工夫の結果生まれたもので、現行品でもミリタリーダイヤルに用いられる人気の高いデザインですが、それはむしろ必要から生まれた造形でもありました。
とりわけ後者は、コブラハンドやカテドラルハンドと呼ばれるユニークな形状の針が有名ですが、これは単なるデザインコンシャスでは決してなく、外枠だけだと夜光塗料が剥離しやすいため内側にもフレームを渡す必要性から生まれた実用的な形である点も忘れてはいけません。アラビア数字も、懐中時計で主流だったローマ数字がよりも見間違えが起こりにくいため、これらの腕時計に好んで採用されました。
第二の特徴は懐中時計のデザインを踏襲しているという点。男性が腕時計をつけるようになったのは19世紀末に始まるボーア戦争で、ある将校が懐中時計を革のストラップで腕に固定して使用したことがきっかけと言われています。これが主流となった第一次大戦でも、トレンチ・ウォッチは懐中時計にベルトを取り付けるためのラグを溶接したスタイルの、ほぼ懐中時計をそのまま用いたデザインが目立ちます。白磁板を用いたポーセリンダイヤルは、その象徴ともいうべきもの。
また、堅牢さが求められたためケースの形状も装飾は排され、ソリッドで肉厚なボディも多く見られ、シリンダー(円筒型)やトノウ(樽型)クッション型など、1910年代に顕著となる腕時計デザインの懐中時計からの意図的な逸脱も、こうしたトレンチ・ウォッチに顕著となります。
先にも書きましたが、今回セレクトした腕時計は実際のトレンチウォッチが活躍した同時代のものではありません。それらが後年アップデートされつつ受け継がれ、ある種の定番デザインとなってゆく過程を楽しむものです。純粋な本物志向だけでは味わえない、実用性と感性の間で揺れ動くデザインの潮流。それらが1930年代から40年代にひとつの完成を見た、稀有な腕時計たちを是非。
そして同じ頃入荷した一本の金無垢の腕時計。〈ゴールドスミス&シルバースミス〉という長ったらしい名前がカーブを描くホワイトダイヤル、懐中時計のような几帳面な文字盤デザイン、そしてやや大振りなケースにホーンラグを備えた9金無垢のケース。
多分、ロレックスやパテックでは作り出せない空気感。
....for item details » "Summer Gold"
]]>
ヴィンテージTシャツと金時計。
ゴールドウォッチはドレスウォッチなんていう思い込みは捨てましょう。Tシャツ一枚、デニムとスニーカーという定番の夏スタイルでも、適度に高級感を乗せる事ができる。シルバーケースも無難なんですが、やや地味に偏りがちだったり緊張感が出てしまうことも。ヴィンテージゴールドの柔らかな輝きは、こういうスタンスのコーディネートにちょうど良い。
絶妙な懐の深さ。これがあるからゴールドウォッチが手放せない。
....for item details » "Summer Gold"
]]>
余談ですが、夏の定番の麦わら帽子は意外と普段使いするのに少し慣れがいるけど、一度ハマると抜け出せない。それと似たようなことが金無垢の腕時計にも言えるかもしれない。
SMITHS "EVEREST" 1960'S
SMITHS "IMPERIAL" AQUATITE 1960'S
Alpina 1950'S
SMITHS "ASTRAL" 1960'S
GARRARD by SMITHS AQUATITE 1960'S
GOLDSMITHS & SILVERSMITHS CO LTD 1950'S
....for item details » "Summer Gold"
]]>
また腕時計好きの方でも、しばしば金無垢、金張りケースの腕時計は冬の装いと決めている方も多いのではないでしょうか。確かに、ゴールド特有の柔らかい輝きはツイードやニットなどの暖かみのある生地と相性が良い。しかし、Tシャツやラフなファッションと相性が悪いということは決してありません。
多分、若い方の多くが金の腕時計を敬遠し、無難なシルバーやステンレススチールを選ぶのは、金の腕時計が何かドレスアップしないと身につけてはいけないものと決め込んでしまって、「そういうのはもっと大人になってから」という固定観念に結びついているのかもしれません。ちなみにそう言う傾向は日本人特有のものです。
ゴールドウォッチは、特にヴィンテージにおいてはむしろもっとスタンダードな存在。製造から半世紀を超える年月を経たゴールドは明らかに今のものと異なる深みがあります。実際に使ってみると、その控えめなデザイン性とも相まって、ドレスからカジュアルまで懐深く汎用できることが実感できるはずです。
]]>
]]>
ミッドセンチュリーの腕時計に見られるモダンデザインは、「膨張性」というコンセプトに貫かれています。
40年代以前に比べ格段にスクリューバックケースが普及し、ケース自体がボリューム感を持ってくるとともに、特にラグデザインにおいてホーンラグをはじめとする主張の強いものが目立ちます。文字盤もそれに呼応するかのように、ボンベダイヤルと呼ばれる膨らみを持ったフォルムに変化し、アワーインデックスは従来のプリント式からエンボスやアプライド式へ、同じくボリューミーなスタイルが主流となりました。
これらの点はアール・デコ期の腕時計デザインと決定的に異なる部分だと思います。特にケースデザインにおいてはアール・デコを体現した奇抜なレクタンギュラーケースがもてはやされた20年代から30年代とうって変わり、やはり腕時計はラウンド形が最も自然なフォルムであるという購買層の支持が強くなったことも大きな転換点と言えます。
文字盤デザインにもミッドセンチュリーには、ある種ニュークラシックと呼ぶべき典型が生まれます。インデックスの抽象化です。
時間を示すアワーマーカーは、時計が当たり前の存在になったことでもはや数字である必要性がなくなり、抽象的なマークが様々な形で採り入れられました。
棒状のバーインデックスや楔形インデックス、ドットインデックスなど、そのバリエーションは多彩ですが、特に多くの個体に見られるのが楔形インデックス。適度なボリューム感とシャープさが同居し、視認性の高さもあいまって腕時計と最も相性が良かったと思われます。
ちなみに個人的に好きなのは、キューブインデックスとバレット(砲弾)型インデックス。力強く、かつ品がある。僕自身はこういう二面性を持ったデザインに特に惹かれる傾向にあるようです。
複雑系時計の分野では、戦時中から軍用で製造されていたクロノグラフに加わり、比較的実生活に根ざした多機能腕時計が様々なブランドからリリースされました。アラームウォッチやカレンダーウォッチのバリエーションは、ミッドセンチュリー期において目を見張るものがあります。
機能的なデザインに遊び心が加わったヒドゥンクラウン(隠しリューズ)の腕時計もこの時期には多く見られます。前提としてオートマティックでの巻き上げの高効率化を実現した全回転式ローター付きの自動巻きムーブメントの普及があり、腕時計が自由度を得ることによって現代のファッションウォッチへの端緒となったのも、このミッドセンチュリーだと言えます。
リューズが見えない。今見ても新鮮ですが、当時の人々にとってもパンチのあるデザインだったと思います。でも質実剛健でクラシックを程よく保っているところに秀逸なバランス感覚が見て取れる。個人的に今回のテーマを体現しているのが、こちらのホヴェルタ「ロートマティック」です。
このように腕時計がボリューム感を持ち、遊び心や便利機能を持つ腕時計が盛んになるミッドセンチュリーのデザインは、二度にわたる長い戦争が終わり、次第に人々の生活が豊かになってゆく経済的な変化ともリンクしています。
すべての人々が腕時計をするようになる時代。斬新なデザインや流行のスタイルが生まれながらも、他方それらは「売れる腕時計」へ収斂し、大規模な画一化が始まると、腕時計はステータスを示す装身具という意味合いも強くなってきました。それは令和の時代においては古代の風習ですが、ヴィンテージウォッチという存在の醍醐味はそういった背景部分にもあります。
|LIEMA / FLAT BEZEL & HOODED LUGS 1930'S
|TRITONA "WASSERDICHT" / GERMAN ARMY, TRE TACCHE 1940'S
|HUBER "NAUTICA" / STRONG CUSHION CASE 1930'S
|SMITHS "DE LUXE" / SOLID SILVER CUSHION DENNISON CASE 1960
|Cortebert "SPORT" / SECTOR DIAL, QUATTRO-TACCHE 1930'S
|DOXA × FAVRE LEUBA / BLACK GILT DIAL 1940'S
|OMEGA / 9KYG 'DENNISON' CASE, STEPPED BEZEL 1946
|MIMO / BLACK GILT DIAL, QUATTRO-TACCHE 1940'S
|MOVADO / SECTOR DIAL, FLEXIBLE LUGS 1930'S
|DOXA / BRONZE DIAL, UNIQUE INDEX & HANDS 1940'S
|Alpina "FESTA" / TRE-TACCHE, STEPPED BEZEL N.O.S 1930'S
|MOVADO / 9KYG CUSHION CASE 1940
|TAVANNES "WATERSPORT" / CLAMSHELL CASE 1930'S
*PRIVATE
]]>
また、その当時はまだ懐中時計も現役だったこともあり、それに比べて腕時計は小さくないといけないと考えられていました。もともと腕時計は女性が身に付けるアクセサリーの一種だったことは有名で、男性の腕時計という発想は戦争で兵士が懐中時計を腕に巻き付けて用いたのが始まり。初めて正式に運用されたのも第一次世界大戦以前のボーア戦争と言われています。
そうしたツールウォッチと呼ばれる腕時計は、確かにロマンがあります。特に男性にとっては、独特のデザインと巨大なケースが放つ迫力、そして希少価値の高さは何より魅力的かもしれません。でも合わせやすいかというとむしろ難しく、往々にして腕時計だけが浮いてしまう。
基本的に当時のウォッチメーカーは、最高の精度を最小のパッケージで提供することで自社の技術力とエンジニアリング力の高さを競っていたのです。コンパクトで堅牢なケースに高精度のムーブメントを積んだロレックスのラーレー、スピードキングはその最たる例と言えます。
つまるところ、時計の大きさはメンズとレディースを区別する要素では必ずしもないということ。
メンズウォッチを単純にダウンサイズしてレディースウォッチにするような動きは、おそらく80年代以降のごく最近の動きだと思われます。かつてはそのようなことはほとんどなく、レディースウォッチにはデコラティブで優美なラグデザインやプロポーションが与えられ、メンズウォッチは質実剛健なスタイルを採用することで差別化されていました。大きさは二の次だったのです。
特にこのテーマでジェンダーレスなデザインやジェンダーフリーを標榜するわけではありませんが、まずケースサイズに対する従来のイメージを一旦白紙にすると、ヴィンテージウォッチの本当の魅力が味わえると思います。当時の伊達男たちが身に着ける小振りな腕時計は、今見ても非常にファッショナブルで美しい。現代のコマーシャリズムに毒された価値観だけでヴィンテージを見るのは、極めてもったいないことです。
僕自身、腕時計をご紹介する際は「男らしい」とか「フェミニン」といった形容詞はなるべく使わないようにしています。それが意味するものは、果たしてその腕時計の魅力を引き立ててくれるかどうか自問した結果、そうではないと思ったからです。
そもそもジェンダード・ウォッチ自体古臭いと思っているし、もう他の人にどう思われるかで腕時計を選ぶ時代でもないと思います。似合ってれば。
このサイズの良さは、いろんなテイストの装いにフィットする点です。僕は日常でスーツを着ることはないのですが、最近は結構ゆったりしたシルエットの服が好みで、ちょっと前は少しタイトめでクラシックな服も着ていました。でも、この腕時計はずっと変わらず寄り添ってくれています。適度なラグジュアリー感もあるので、たまにスーツを着る時もちゃんと役割を果たしてくれる。
こういう懐の深さは、ビッグサイズのクロノグラフやパーパスウォッチと呼ばれる男臭いミリタリー・ダイバーズ系の腕時計が持ち合わせていない魅力。多分、現行品ではなくヴィンテージを選ぶ方の多くは、その小振りなサイズに美を凝縮した品の良さに惹かれるんだと思います。
ただこうした小振りな腕時計について回るのが、華奢だとか、レディースっぽいという偏見。”小振り=レディースウォッチ”という、誰が決めたのかすら定かでない方程式は捨て去りましょう。特にジェンダーフリーを求めているわけではなく、そろそろもっとニュートラルにU-30の魅力を感じて欲しいと思い、ようやく今回マンスリーテーマに選んでみました。是非。
]]>
さてここからは考察ですが、ヴィンテージウォッチ市場で見つかるアルピナの腕時計は、大きく分けて"Alpina"の文字を持つものと、そうでないものとが存在します。後者は具体的に、三角形と円が組み合わさったトレードマークだけ、もしくはそれ以外の"FESTA"あるいは"TRESOR"といった名前の文字を冠したもので、Alpinaの文字は載りません。
前者のAlpinaの名前を冠したものは、ムーブメントにキャリバー592や586といったアルピナのムーブメントを搭載していますが、後者は主にドイツ製のムーブメントが採用されています。僕自身、この違いは何なのか、他店でそう言われているけど果たして後者の腕時計は本当にアルピナ製なのか?同じ"Der Kreis im Dreieck(The circle in the triangle = 赤い三角形の中の円)"トレードマークを持つ〈ドゥゲナ〉とどう違うのか?と常々疑問が晴れずにいました。
結論から言うと全てアルピナ製で、ADUGがドイツで流通させていた製品ということでした。ただし、"Alpina"の名を冠する腕時計はキャリバー592や586、566、あるいは角型キャリバーの490といった、ジュネーヴの〈ユニバーサル〉製エボーシュを使用したムーブメントを搭載するもののみに限られていました。
そして「アルピナ」グレード以下のムーブメントは、アルピナ・グリュエン協業で1937年まで製造されていた「ギルデ(GILDE)」と、ドイツ製エボーシュを使用する「フェスタ(FESTA)」の2種が存在しており、それぞれ異なる価格で顧客が自由に選ぶことができました。これらは「アルピナ」グレードよりも低価格に設定されていることから、アルピナのディフュージョンモデルとしての位置付けだったものと思われます。
こちらの資料は1937年の雑誌に掲載されていた、アルピナがドイツ市場で展開していたモデル「トレゾール」の宣伝広告です。ドイツ語で書かれていますが、「アルピナ(Alpina Werk)、ギルデ(Gilde Werk)、フェスタ(Festa Werk)」の3種がそれぞれ異なる価格で表示されているのが分かります。ちなみに当時の通貨はライヒスマルク(Reichsmark = RM)です。
右側の説明文も興味深い内容ですので、翻訳してみました。
「10年以上の経験から生まれた時計"トレゾール"。使用中にいつも時計のお手入れができないアクティブな方にぴったりの時計です。信頼性の高いムーブメントは、しっかりと密閉されたクルップ社製ステンレススチールケースの中で、外部からの有害な影響から保護されています。時計の風防は圧入されており、割れないようになっています。 この腕時計は Alpina Deutsche Uhrmacher Genossenschaft が販売する特別製の証として、赤いシールドタグが着けられています。それはこの腕時計が、同じ価格帯の中でも最もリーズナブルな価格を実現していることを意味しています。 "トレゾール"は Alpina Deutsche Uhrmacher Genossenschaft の加盟店でのみ手に入れることができ、それは赤い「三角形の中の円」のマークを見れば分かります」
「赤いシールドタグ("die rote Plombe")」というのは、下の画像の腕時計に付属している、赤いロゴがついたタグのことです。右が1930年代のアルピナ・ドイツ(ADUG)社製で、左はドゥゲナ社製の腕時計。ドゥゲナの腕時計は必ず"DUGENA"の名前が入り、かつ1950年代以降に作られたものなのですぐ分かります。
こうしてようやくひとつの謎が解けました。特に"FESTA"はドゥゲナの腕時計にも用いられているモデル名なので、長らくその違いがよくわからなかったのですが、おそらくアルピナのドイツ支店であるアルピナ・ドイツ(ADUG)社が独自に国内向けに展開したモデルで、戦後になってドゥゲナがこのモデル名を受け継いだものと思われます。
ちなみに"Siegerin"という名を冠した腕時計も存在しますが、こちらはムーブメントはアルピナを搭載しています。"K.M(Kriegs Marine=ドイツ海軍)"の表記を持つSiegerinも多い特殊なレーベルです。
*アルピナに関するその他の記事
]]>
1883年 スイス時計製造会社として設立
1890年 本社をスイス・ビエンヌに移転
1901年 ユニオン・オルロジエール(Union Horlogère)に改名
1909年 ドイツ・グラスヒュッテにアルピナ精密時計工場(Precisions Uhrenfabrik Alpina)を設立
1917年 ユニオン・オルロジェールが解散。ドイツ法人"Alpina Deutsche Uhrmacher Genossenschaft"設立
2002年 商標権をスタス社(フレデリック・コンスタント)が購入
■「スイス時計師協会」(Vereinigung der Schweizer Uhrmacher)
スイス・ヴィンタートゥールの時計職人ゴットリープ・ハウザー。彼が1883年にチューリッヒで開催された国内向けの時計展示会に伴って設立したのが「スイス時計師協会」(Vereinigung der Schweizer Uhrmacher)で、後の〈アルピナ〉の母体となる、スイス時計産業に大きな影響力を誇った団体の歴史の始まりです。
■19世紀後半の時計産業
この協会を詳しく語る前に、その設立の背景、19世紀後半の時計産業の構造をまず理解する必要があります。早くも1860年代に大量生産を選択し、ウォルサムとエルジンの2社への強力な集中という特徴を持つアメリカ時計産業とは異なり、スイス時計産業は20世紀を通じて多数の中小・零細企業あるいは個人によって担われ、かつ地理的にも分散的な構造を維持していました。この傾向はおそらく、同族経営的な様式を保持したいという願望に大きく根ざしていたと思われます。
当時スイスの時計産業は、アメリカの成果に触発され徐々に製造工程が機械化され、工作精度が向上しつつあったもののやはりまだまだで、時計を販売する前には通常まず時計を分解し、歯車の噛み合わせやムーブメントの他の部分をチェックし、必要に応じてすべてを作り直していました。また、中小の時計メーカーやディーラーはスペアパーツの在庫を確保するのにもコストや手間がかかり、購入した商品の品質の良し悪しを判断するのも大変。さらに修理で必要な古い部品を交換する作業も、新しい部品を都度職人が修正するという始末。
このような問題に直面し、ハウザーが提言したのが「スイス時計師協会」でした。同協会の目的は大きく二つあり、それは第一に、一貫して高品質を保った時計・部品を供給すること、そして第二に、中小の時計メーカーや職人でも共同で大量に購入することにより有利な条件で交渉できるようにすることでした。このコンセプトは瞬く間に受け入れられ、多くの時計製造の会社や個人が時計の部品を購入するためにこの組合に参加しました。
同時に販売チャネルにおいても、徐々に消費者協同組合や百貨店が市場で存在感を増してくると、競争の激化によって中小規模の小売業者は特に大きな打撃を受けました。そこで協会は製造を組織化することで独自の高品質なキャリバーを開発し、販売網を拡大。その成功は極めてスピーディに展開し、ドイツだけでなく東欧や北欧にも代理店が設立されました。
それまで呼称として用いられていた〈アルピナ〉という名称も、1901年に商標として登録されました。
創業から20年を数えるまでに、この「スイス時計師協会」は法律上の理由から何度か名称変更を行っており、1886年に"Schweizerische Uhrmacher Genossenschaft"(スイス時計師協同組合)、さらに1904年、合同会社化によって"Union Horlogère, Uhrenfabrikation und Handelsgesellschaft, Biel, Glashütte, Genf"、つまり〈アルピナ・ユニオン・オルロジェール〉がここに生まれました。
■"U.H."の機能
ユニオン・オルロジェールへの入会は、スイス在住の時計師であれば誰でも会員になることができました。ただしそれには申請が必要で、取締役会によって慎重に検討され、そこで承認されると入会金5フランと保証金500フランを支払うことで会員になることができました。会員になることで、各代表者はアルピナの時計をリーズナブルな価格で購入できるだけでなく、他の多くの特典を受けることができました。同時に協会は「アルピニスト」と呼ぶ会員の利益のために懸命に努力し、最大の成長を促す手助けをする非営利団体のような存在だったと言えます。
協会では不当な値引きを避けるために、協会が定めた価格を各会員が守ることが義務づけられていました。またアルピナの時計の広告は、購読料、参加料、サプライヤーの売上高に応じて算出される補助金などの共益費から全額払われていたため、会員にとっては負担の軽減になりました。
品質保証についても協会は連帯して行います。1908に年には、スイスのネットワークでアルピナ ウォッチを販売するすべてのショップで有効な保証書が発行され、さらに1926年には国際的にも有効となります。そのほか協会は定期的に委員会を開いたり、販売や技術研修のセミナーを開催し、アルピニスト等を積極的にサポートしました。また年に一度、2日間の見本市のようなミニフェアを開催し、そこでは世界中から集まったアルピニストたちが新製品をみることができたり、事前に注文したりすることができたほか、メンバーが問題や経験を共有し、長期にわたる強い友情を築くことができる社交的なイベントでもありました。この活動によって、いわば家族的な相互扶助を持ちながら、ヨーロッパ全土に開かれた巨大なネットワークに成長しました。
そのほか協会の原則として会員となる販売店は各地域1店舗のみというものがありました。こうした同地域におけるバッティングを避けるブランディング手法は現在では一般的ですが、当時は目新しいものでした。
■主な参加メーカー
その後同協会のオリジナルキャリバーの製造の中心的存在であったのが、ビエンヌのシュトラウブ(Straub)社が提案した"Société des fabricants d'horlogerie suisse réunis"(スイス時計工業会)という製造業者中心の団体が設立されると、アルピナ・ユニオン・オルロジェールの名称も新たに"Union Horlogère, Schweizerische Uhrmachergenossenschaft, Association horlogère Suisse"と改称されました。
「スイス時計工業会」はスイスの各時計部品メーカーや組立て工場への発注を取りまとめることで、価格の適正化が図られました。そこに参画した企業は現在もヴィンテージウォッチ市場でしばしば目にするそうそうたるウォッチメーカーが並んでおり、例えば時計の完成品を扱うビエンヌのシュトラウブ&カンパニー社、ジュネーブのマーク・ファーブル社、グレンヒェンのキュルト&フレール社(後のサーティナ)、ラ・ショー・ド・フォンのシュウォブ&フレール社(後のシーマ)、ヴィルレのロベール&フレール社(後のミネルバ)そして各種部品メーカーからはジュネーヴのデュレ&コロンナズ社(エボーシュ)、ユグナン=ロベール社(ケース)、アリ・ジャネロー社(懐中時計付属品)、ヌマ・ニコレ・エ・フィス(文字盤)などが挙げられます。
1908年に創業25周年を迎えたアルピナ・ユニオン・オルロジェールは、1901年から生産を開始していたブレゲヒゲゼンマイやバイメタル式補正テンプを使用する高品質キャリバーの時計ブランドとして「アルピナ」の名前を正式に登録。メンバーはこの「アルピナ」という名前を、厳選された12種類のキャリバーと、これらのムーブメントを搭載した時計にのみ使用することに合意しました。 そして同時に20世紀という新たな時代においては、キャッチーな名前だけでなく目を引く特徴的なロゴを新たに作ことが必要でした。それは赤い三角形の内側に文字盤とブランド名が意匠化された形で作りあげられ、後にこのロゴはアルピナの独占販売店を明確に示すものとなりました。
■ドイツにおけるアルピナ工場
アルピナ・ユニオン・オルロジェールは、1890年の時点でドイツのコンスタンツに子会社を設立しており、当時すでに200社以上のドイツ市場の顧客に商品を提供していました。その後1892年にフランクフルトのBecker & Cie.がドイツの子会社を買収、1899年には首都ベルリンに本社を置く総合代理店へと発展しました。同社は独立した会社として戦後急速に事業が拡大。1916年締結された契約では契約がスイスのユニオン・オルロジェールからアルピナブランドの使用権が与えられていました。
■アルピナ グラスヒュッテ 1909 - 1922
当時アルピナ・ユニオン・オルロジェールは、スイスのビエンヌとジュネーヴに加え、フランスのブザンソン、そしてドイツのグラスヒュッテに製造拠点を持っていました。グラスヒュッテでは1909年に"Precisions Uhrenfabrik Alpina Glashütte in Saxen"(ザクセン・グラスヒュッテ アルピナ精密時計工場)を設立し、1912 年に最初のグラスヒュッテ製ムーブメント、「アルピナ・クロノメーター・グラスヒュッテ」が完成しました。これは典型的なスイス製のアンカー脱進機ではなく、グラスヒュッテ製のレバー脱進機を備え、ムーブメントの表面には高品質のゴールドコーティングが施されたアルピナ製のクロノメーター・エボーシュを搭載していました。これらの時計の文字盤には、"Precisions Uhrenfabrik Alpina Glashütte i.S."と記されており、完成翌年の1913年にはドイツ海軍が購入した 21インチのマリンウォッチもアルピナ・グラスヒュッテが手掛けていました。
これに反旗を翻したのが、グラスヒュッテ時計製造メーカーの雄〈ランゲ&ゾーネ〉です。
アルピナ・グラスヒュッテの時計は、ランゲ&ゾーネの時計と直接競合するようになりました。1913年、ランゲ&ゾーネは危機感を感じ、すべての部品がグラスヒュッテで製造されているわけではないという理由で、アルピナを止めようと裁判を起こしました。1915 年にはランゲによる裁判は取り下げられたものの、その間に第一次世界大戦が始まり、グラスヒュッテのアルピナ工場にも影響が出てきました。戦時中の輸入規制により、スイスから工場に部品を送ることはほとんどできなくなり、また資本の流れにも大きな制約がかかった結果、1922年7月17日、アルピナ・グラスヒュッテは解散を余儀なくされました。
■2度の世界大戦を経て
第一次世界大戦中は様々な困難がドイツのアルピナ・グラスヒュッテに襲いかかりました。当時連合国軍はスイスとドイツのビジネス関係に不満を持っていて、スイスのアルピナ工場とドイツの顧客との関係は強い圧力にさらされていました。1917年にアルピナ・ユニオン・オルロジェールは解散します。また1922年にアルピナ・グラスヒュッテも解散しましたが、それらを再編する形で新たに独立した3つの会社を生み出しました。つまり、スイス・ビエンヌの"Union Horlogère SA"と、ドイツ・アイゼナハ(1927年にドイツへ移転)の"Alpina Deutsche Uhrmacher Genossenschaft G.m.b.H."、そしてスイスのアルピナ会員を取りまとめる"Alpina Association des Horlogers Suisses"という協会を新たに設立。第一次世界大戦後、この3法人各社の活動は飛躍的に活発化し、販売チャネルはリスボンからコペンハーゲン、モスクワまでヨーロッパ全土に及ぶ2000のリテイラーによってアルピナの時計が販売されまでになりました。
しかしながら第二次世界大戦が勃発すると、国際的なユニオン・オルロジェールの活動は再び精査の対象となりました。またしても輸入、旅行、資本の流れに制約が及び、潜在的な活動の範囲を大幅に縮小させました。連合国による制約の最たるものは、スイスのアルピナ・ユニオン・オルロジェールがドイツでアルピナのブランド名を使用することを禁止したことでした。そのためドイツのベルリンを拠点としたアルピナドイツ支社は、"Deutsche Uhrmacher Genossenschaft Alpina"の頭文字をとった"DUGNENA"が、新たなブランド名とされました。そしてトレードマークとして選ばれたのは、三角形と円が組み合わさった、かつてアルピナが用いていた図像と似たマークでした。
新しいブランドはドイツ市場で非常に高い知名度を獲得。アルピナとドゥゲナの間のコラボレーションも戦後継続し、ユニオン・オルロジェールはアルピナブランドのスイス時計をドゥゲナに納入しつつ、ドゥゲナもまた、自社ブランドの時計の製造を続けました。
■ドゥゲナ(DUGENA)の躍進
1917年にリヒャルト・ロートマンを代表者としてドイツ・アイゼナハに設立されたアルピナのドイツ支社、"Alpina Deutsche Uhrmacher Genossenschaft G.m.b.H."は、第二次世界大戦の経過でDUGENAへと生まれ変わり、アルピナとの連携とともに自社ブランドの時計もドイツ市場で大きく躍進していました。
1948年、ベルリンにあったドゥゲナの本社をダルムシュタットに移し、社長を務めるウィリー・テンペルの経営手腕によってドゥゲナは西ドイツにおける信頼性の高い現代的な高品質の時計の代名詞となりました。
いわゆる"Wirtschaftswunder(戦後のドイツ経済の奇跡)"の時代、1960年代と1970年代は、ドゥゲナにとって大成功の時代でした。婦人用時計と紳士用時計の両方で、このブランドはかなりの評判を得たほか、クォーツ革命に際して高品質のクォーツコレクションで地位を確立し、その機器を乗り切った数少ない時計メーカーのひとつとなりました。1973年にドゥゲナの腕時計はドイツ全土の2,000の時計店で販売されています。
■アルピナ・グリュエン 1929-1937
アルピナ・ユニオン・オルロジエールの成功について、他企業の関心が喚起されたのは自然なことでした。特に重要な協業が実現したのは、1929年のこと。アメリカ・シンシナティのウォッチブランド〈グリュエン〉は、ヨーロッパの販売網を利用するためにアルピナとの合併を希望し、同じくビエンヌにあったグリュエンの工場と協業する形で〈アルピナ・グリュエン・ギルデ S.A.(ALPINA GRUEN GILDE S.A.)〉が誕生しました。
新会社の合理化された生産体制によりアルピナとグリュエンの時計の品質が向上しました。この時期に製作されたハイライトモデルは、エグラー工場で製作された「ドクターズウォッチ」です。後にロレックスがエグラー工場を買収することになりましたが、当時ドクターズウォッチは、アルピナ、グリュエン、アルピナ・グリュエン、ロレックス「プリンス」といった複数のブランド名を冠した形で流通していました。
しかしその熱狂は短期間で終焉を迎えることになります。たとえグリュエンが良質な時計を生産していたとしても、アメリカとは異なりヨーロッパではほとんど知られていなかったのです。さらに、グリュエンはアルピナよりも高い価格で時計を販売しようとしていたことが、ヨーロッパのアルピナ会員の反発を生んでいただけでなく、グリュエンはアルピナの米国会員への製品提供を制限していたこともあって、この協力関係はあっけなく瓦解。1937年に両者は完全に分離します。
■1930年代のベストセラー・ウォッチ
アルピナが1933 年に発表した「ブロックウォッチ(BLOCK-UHR)」は最初のベストセラーとなった腕時計で、同年に特許を取得した新しいリューズを搭載した堅牢性の高いモデルでした。この新しいリューズは、埃の侵入を防ぐためにリューズと巻真の間に隙間が生じないよう、スプリングを備えた可動式のスペーサーが内蔵された独自の構造を持っていました。
また用意周到なアルピナらしく、この新リューズを万が一紛失したり破損させてしまっても、ディーラーは36本入りの箱に入れて購入することができ、修理が必要になったときにすぐに交換品を供給する用意もしていました。
さらに1938年、スポーツウォッチ「アルピナ 4」を発表しました。「4」という数字は、4 つの決定的な特性を示しています。つまり1.耐磁性、2.防水性に優れた「ジュネーブ製」ケース、3.衝撃吸収性に優れたインカブロック装備、そして 4.ステンレススティールを採用した堅牢なケースです。アルピナは、このスポーティなモデルにキャリバー566、586そして592を使用しました。
キャリバー586は、スモールセコンドのサブダイヤルと、中央に配置された "スイープセコンド針 "を備えていました。そして名機の誉れ高いキャリバー592は、その後数十年にわたりアルピナ70(1953年)、スタンダード(1958年)、トロピックプルーフ(1968年)などの成功を収めたスポーツウォッチに使用されてきました。このキャリバー592の高い信頼性は、1948年にスイス・ビエンヌにあるカントン工科大学の時計学校で教育用キャリバーとしてされたことが十分に物語っています。
■現代に至るまで
アルピナ・ユニオン・オルロジェールは第二次世界大戦の直後から大きく成長し、数多くのキャリバーの開発や腕時計の製造においてピークに達しましたが、他の数多くの時計メーカー同様、その後来るべきクォーツショックを予測することはできませんでした。1970年代初頭、アルピナブランドの腕時計は市場の抗いがたい新しいトレンドに直面し、無力感に苛まれていました。一方でユニオン・オルロジェールは、それに対して打つ手がありませんでした。長い間筆頭株主であったシュトラウブ家は、忠実なアルピニストとの提携の強みを頼りにしていましたが、1972 年には社名変更と新しい所有者への譲渡を余儀なくされました。
株式の大部分はドイツ・ケルンのゲール兄弟が所有するようになり、その社名もアルピナ・ウォッチ・インターナショナル AG/SAに変更。同時にドイツにおけるアルピナの総代理店も ゲール、ドールマン&レイヤー(Gerl, Dohrmann & Layer)社が引き継ぎました。ブランドの伝統的な製品ラインには、「プレジデント」、「ラ・ベル」、「コントレス」、「シーストロング」などの名前が追加されました。
1977 年には、ゲール、ドールマン&レイヤーグループが、投資家がアルピナをドイツのモンタナ・ウーレン AG の傘下に置くことで、さらなる修正が行われました。この時、アルピナのモットーは「厳選された小売業者のためのブランド」とされていました。以前は明確に定義されていた市場戦略はますます曖昧になり、アルピナを歴史的に強力にしてきた「アルピニスト精神」は徐々に失われていきました。
ブランドには、一貫性も明確さも欠け、そのほとんどがミーハーでランダムな製品で構成されていました。それはアルピナ・ウォッチ・インターナショナル S.A.社のドイツ人オーナーが、地理的にも商業的にも、時計産業のエピセンターであるスイスのからあまりにも遠ざかっており、同時にアルピニストたちからも遠ざかっていたからと思われます。年を追うごとにこのトラディショナルなブランドは、方向性を失ったまま漂流していきましたが、幸いなことにオランダの起業家ピーター・スタスが2002年にこのブランドの眠っている可能性を発見し、再び新生アルピナは日の目を見ることになりました。
*アルピナに関するその他の記事
Brand Story: Alpina Germany "ADUG".....アルピナのドイツ支店が手掛けた腕時計について
]]>
通常、フラットなベゼルが一段付けられたものをステップべゼルと呼びますが、こうした複数段のタイプも散見されます。
ベゼルが複数段に分けられるため一段あたりの幅が狭くなり、より繊細さが強調される。どちらかというとドレッシーな印象。
僕の体感ではシングルとマルチは大体半々で見かけます。質実なシングルステップに対するカウンターバリエーションと言えますが、1930年代から40年代半ば頃までしかほとんど作られていなかったと思われます。
個人的に華麗なマルチステップはデザインに奥行きがあって飽きがこないのがいい。あとマイナーブランドが結構このタイプを採用していて、ケース全体のデザインやシルエットも多彩で面白い。
ちなみにマルチステップベゼルという名称は僕が勝手にそう呼んでいるだけで業界的には一般的ではないと思うのであしからず。シングルステップと区別する名称が他にないので。
ロンジンのステップべゼルは、実は細かなセッティングの違いが数多くみられます。
雲上モデルとなってしまった35mmのジャンボサイズを筆頭に、やや大振りな32mm、最も腕馴染みの良い30.5mm、そしてやや小振りでラグ幅も15mmのパリス管仕様となる29.5mm。
今回のリスティングには30.5mmが2点ありますが、それぞれ微妙にステップべゼルの仕様が異なります。
左のブレゲ数字と中央の黒文字盤はいずれも30.5mm。黒文字盤は通常のステップ仕様で、一番右の29.5mmの個体と同様なのに対し、ブレゲ数字の個体はステップがやや幅広のワイドステップべゼル。非常に細かい違いですが、印象は確実に変わります。
ちなみに、ロンジンの専売特許と思われがちなステップベゼル×トレタケの腕時計ですが、ロンジン以外もあります。こちらは〈エベル〉ですが、ロンジンのステップベゼルに極めて近い印象。
今回のラインナップにはロンジン以外のステップベゼルモデルもセレクトしています。ステップの幅、高さ、質感、そしてラグデザインなどに固有の表情を持ち、その全てが秀逸。
例えば左の〈スヴェイラン〉は、普段のステップベゼルケースではあまり見られない異様なラグデザインを持っていたり、あるいは右の〈ユニオンスペシャル〉は、ラグがベゼルの一段低いところから伸びる、パテック・フィリップに代表される「カラトラバケース」の特徴を有していたり。これだけで全然印象が違います。
最後にご紹介するのは、個人的に「こんなのあるのか」と声が出たオメガ。
金無垢のドレスウォッチでは非常に珍しいステップベゼル。ラグデザインも凝っていて、何よりこれ、デニソンケースです。どんだけバリエーションあるんだ。。。
ベゼルが極端に分厚く形成され、まるで宇宙服のヘルメットのような重厚なフォルム。〈デルコーナ〉というドイツのメーカーが手掛けた腕時計です。
力強くも愛らしい、そんな両極端な魅力が同居する佇まい。同時に文字盤のアラビア数字とドットインデックスのコンビネーションや、アール・デコのクラシックなレイアウトは、ユニークさが際立つケースデザインとバランスを保っているようにも見えます。
続いてこちら。昭和初期の日本においてはJ.W.ベンソンと並ぶ「舶来時計」の人気ブランドとして知られた〈モーリス〉の腕時計ですが、正直こんなラグデザインは他に見たことがありません。
かなり大ぶりなラウンドケースですが、それを凌駕する柱のごとく肥大化した4本のラグ。しかも根元にカッティングを入れたりと凝ったデザイン。素材はすべてステンレススチール製なので、当時の工作技術を考えると有数のウォッチケースメーカーにしかこのような芸当は不可能だったと思われます。
最後にこちらも分厚く肥大化したベゼルが目を引く腕時計。
前述のデルコーナと異なるのは、このベゼルが真っ平らなフォルムをしているという点です。これは「フラットベゼル」と呼ばれ、なぜか1940年代のヴィンテージウォッチでしか見られない高い人気を誇るディテール。その魅力はなんといっても他では味わえない重厚感ですが、この〈フーバー〉の腕時計はベゼルが異常に分厚い。
フーバーはドイツの老舗宝飾品店で特に自社ブランドを冠した腕時計が有名ですが、このようにデザイン性に凝ったものが多く見られるのが特徴。よく見るとラグもわずかに稼働するフレキシブルラグを採用しています。先ほどの出るコーナも含め、ドイツの腕時計はこうしたケースデザインに遊び心のあるものが多い気がします。
それらは多くの場合紋切り型のデザイン。例えばゼンマイを巻くリューズ、装着するためのベルトを取り付ける2カ所のラグ、そして文字盤やムーブメントを覆い保護するケースなどは、腕時計が腕時計であるためのファンダメンタルな部位ですが、メーカーは顧客の安心感とともに製造コストの削減を得るため、往々にしてある程度定番的なデザインやスタイルを流用します。
それに反駁するかのように、機能性を度外視した芸術的なケースデザインもヴィンテージウォッチには多々あり、場合によってはそれが新しい典型として模倣されることもありました。advintageの腕時計が多くセレクトされる1940年代から60年代は、ケースデザインの潮流においては戦国時代ともいうべきシチュエーションで、良い意味で迷走したデザインが他の時代よりも多く見られる、ある種幸福な時代でした。
一番わかりやすいラウンドケース以外の変形ケースは後回しにして、まずは「あるべきものがない」という違和感がもたらす個性が味わえる作品群からご紹介します。
ドイツのウォッチブランド〈シュトーヴァ〉の姉妹ブランド〈エルゾ〉の腕時計。
ベルトを取り付けるラグがケースの後ろに隠されていて、正面から見るとまんまるにしか見えません。「フライングソーサー(空飛ぶ円盤)」とか、「UFO」などと呼ばれる希少なケースで、この個体だけでなく他のブランドからも1930年代から40年代に同様のデザインが散見されますが、アール・デコの影響が薄れる1950年代以降はほとんど姿を見せなくなります。
まるでベルトがラウンドケースから直接生えているように見える様は、パッと見ると指輪のようでもあります。
続いてはこちら。〈ホヴェルタ〉の「ロトマティック」という自動巻きムーブメントを搭載したオートマティックモデルです。
これも見てお分かりのように、リューズが見当たりません。「ヒドゥンクラウン」という呼称で呼ばれることがあり、こちらは自動巻きの進化により、リューズによって手動でゼンマイを巻き上げる必要性が薄れてくる1950年代末以降から散見されるもので、ケースの内側に用意されたスペースにリューズを隠し左右対称のフォルムを強調するという特異なスタイル。
このホヴェルタの場合はセンターセコンド仕様に加えインデックスも抽象的なデザインのため、ケースだけでなく文字盤も左右対称を意識したものとなっています。
最後にラージサイズが異彩を放つ〈エテルナ〉のシリンダーケース。
何がないかというと、ベゼルです。一般的には強度の確保のためある程度ベゼルに厚みを持たせるものが腕時計の大半を占めますが、それを極限まで薄く仕上げ、正面から見るとほぼ全ての面積を文字盤が占めるという非常に新鮮なビジュアルを生んでいます。ただでさえ35mmのジャンボケースなだけに、そのインパクトもとんでもないことに。
以上、ユニークなケースデザインの腕時計は足し算的なデザインをイメージしますが、まずは引き算的デザインの妙を皮切りとしました。以降もさらにご紹介を続けますのでご期待ください。
なお今月は前後半の2部構成になります。前半は突然変異的に変化した様々なフォルムを中心にご紹介します。後半へのアップデートは2/15を予定していますのでそちらもご期待ください。
多くはクロームプレート/ステンレススチールバックですが、そのプレーティングも厚みのある丁寧な仕事。
さらにこの角形のシリーズの初期に製造されたごく一部には、オールステンレススチール製のモデルが存在します。 こちらがその極めて希少な個体。セクターダイヤルにシルバーギルト仕上げが施された、アール・デコの腕時計デザインの中でも最も高い人気を持つスタイルを採用。硬いステンレススチールの塊を多面体に仕上げた、当時にあって高い工作技術を感じさせるレクタングルケースも異彩を放ちます。
数少ないリップのオール・ステンレススチールモデルですが、角形のみならずラウンドケースもそれは同じ。左はスクリューバックケース、右はユニークなラグデザインにスナップ式防水構造で、船舶を意味する「ノーティック」の名を持つモデル。いずれもタフユースを見据えたミリタリーテイストの力強いデザイン。
最後にご紹介するのが、リップのレアモデルの、おそらく極限に位置するこちらの腕時計。
18金、スクリューバック、35mmラージサイズというハイエンド三拍子が揃った、リップという枠組みを超えて普遍的な価値を放つ逸品。さらに文字盤には「クロノメーター(CHRONOMETRE)」の文字。R.25をベースに受け石を増設し、ブレゲヒゲゼンマイを組み込んだ特別機を搭載しており、あらゆる面で最高グレードを達成した腕時計です。後にも先にもここまでの物はでてこないんじゃないだろうか。
リップの腕時計は、年代問わず探せばたくさんあります。advintageでも、創業当時からスミスと並んで一生懸命探し続けているブランドです。にもかかわらず、入手できた個体数は過去のアーカイヴを見ての通り、ぜんぜん少ない。
理由は最初散々述べたように、ハイクオリティな腕時計はほとんど1940年代から50年代初頭までという非常に短い間だけ作られていたことにあります。時代の波に合わせて成長を続けた結果、ヴィンテージとしての価値が劣るアイテムが量産されていったことはある種仕方ないこと。
一方でスミスがあれだけの豊富なハイエンドウォッチを生産していたにもかかわらず、時代に野波に乗れなかったというのは皮肉なことですが、後世に残しておきたいと心から思えるような普遍性の高い腕時計は限られているという現状は、逆にヴィンテージ・リップの価値を高めているとも言えます。
《アノニム》のウォッチベルトの新作が到着しました。
今回のラインナップは全4色。ステッチは全て共色で仕上げているので、前回よりもややドレッシーな印象です。
完売となっていたレギュラーのグレイ(イタリアンシュリンク)、ブラック(ブライドル)に加えて、多数ご要望をいただいていたバーガンディと型押しブラウンを新たに追加。
バーガンディはイタリアの名革「ブッテーロ」、型押しブラウンは同じく「ドラーロ」を使っています。ブッテーロはイタリア・トスカーナ州の老舗タンナー〈ワルピエ〉社が手掛ける、ステア(成牛の肩部)を用いた最高級レザー。ドラーロはその型押しモデルです。
ちなみにベルトの厚みについてもこだわりがあり、柔軟性の高いイタリアンシュリンクのベルトは2.0mm厚と肉厚に、それ以外の革はやや硬めのため1.8mm厚に、と微妙な調整を入れています。
いずれも取付幅サイズ16mmと18mm、さらに全てのラインにオープンエンドモデルをご用意しています。
新色のバーガンディは豊潤な大人の風味、型押しブラウンは焦げ茶に近い色味で、質感も第二次大戦期ドイツ軍の軍用時計に用いられていたレザーベルトに近いためミリタリーテイストに抜群にフィットします。
» 商品ページ
ミドーと言えば、このアドバタイズ。
1937年の雑誌に掲載されたもので、よく見るとミドー・マルチフォートのロゴの下にエルメスのロゴが入る、ダブルネームモデルの発売広告のようです。ベルトはもちろん、エルメス製。
エルメスが惚れた腕時計。そこにミドーの魅力が凝縮されているような気がします。
佇まいの美しさはヴィンテージウォッチにある程度共通する魅力ではありますが、ミドーはまた格別。
そもそもミドーのベストセラーモデル「マルチフォート」は、製造当時の1930年代にあって最先端の技術を詰め込んだプログレッシブな腕時計でした。それは現代のアップルウォッチが世に出てきた時の衝撃に近いと思われます。
デザインとテクノロジーの融合。ご存知の通りアップルウォッチもエルメスとのコラボレーションが有名ですが、まさに時代は繰り返す。
文字盤デザインのバリエーションも定評のあるミドー。そして同様に様々な異なるスタイルを持つケースのバリエーションもまた豊富です。
ケース製造を担当したのは、ウォータープルーフケースの第一人者として知られる〈フランソワ・ボーゲル〉。パテック・フィリップをはじめとする多くの名門ウォッチブランドのケースサプライを手掛けたウォッチケースメーカーですが、単一のブランドでこれほどのバリエーションを有するのはミドーを置いて他にありません。
当時新素材であった非常に硬いステンレススチールの塊をくり抜き、ミドルケースとベゼルをワンピース成型するという技術を持つメーカーは限られていました。完全防水を標榜していたミドーが、当代きってのウォータープルーフケースであるボーゲルに製造を依頼したのは、ある意味当然のことかもしれません。それに見事に応えたボーゲルケースは、100年近く経った今も十分実用に耐えるという高度な堅牢性を誇っています。
防水性、耐震性、自動巻きムーブメントという三拍子を兼ね備えた腕時計は、1930年代当時は最先端のものでした。特にそのタフネスは評価が高く、当然ながらミリタリーユースにも取り入れられています。
上の2本は英国領インドの当地政府軍向けに支給されていた〈ウエストエンド・ウォッチ・カンパニー〉の腕時計ですが、"MULTIFORT"と文字盤に記載があるようにミドーが製造を手掛けたもの。
こうした腕時計としての完成度の高さと使い勝手の良さもさることながら、豊富なバリエーションと比較的取り入れやすい価格帯というのも、ミドーの大きな魅力です。ひとつのブランドの中から「選べる」ということが実は困難なのがヴィンテージウォッチですが、それを可能にしているという点は高く評価されるべきだと思います。
cf. ミドーの歴史について
ふたつのブランドをピックアップする初の試み。
advintageでは、スミスを除いて、特定のブランドやメーカーをベースにコレクションをすることがあまりありません。個体の唯一性や個性を大切にしたいことがその理由ですが、今回の二つのブランドはそれぞれ代表的なモデルが存在しつつ、その中に豊富なバリエーションが広がっていて、それらひとつひとつが異なる個性を有するという稀有な存在。
ある意味、スミスにも通じる独自の世界観があります。
ちなみにこのJOURNALでは、過去に両ブランドの歴史についての記事があります。
さて今回はドイツ・ミュンヘンのヴィンテージウォッチマーケットから。ここはローカルなイギリスのマーケットと違って、イタリア、オーストリア、東欧といったヨーロッパ諸国からディーラーが大勢集まるインターナショナルなマーケット。とにかく熱気がすごく、ほとんどここだけでも事足りるほどの物量があります。
ドイツは学生時代に留学で1年間ほどバイエルン地方に住んでいたことがあり、同じ地方に属するミュンヘンは人や言葉、食も馴染み深く、買い付け以外でも楽しみな街です。
肉肉しいドイツ料理。お肉に添えてある丸いのはバイエルン名物「クヌーデル」。じゃがいもと小麦粉を練り上げたもちもちした柔らかいお餅のような食感で、留学中もよく食べていた思い出の味。カロリーも半端なく、留学生は大体これで体重を増やして帰国していきます。
もちろん、ビールはヴァイスビア。これがないと始まらない。
続いてイギリスに上陸。今回もロンドンを拠点に、マーケットを回り、ディーラーやコレクターとのアポイントをこなします。
マーケットはヴィンテージウォッチ専門のところ以外にも、雑多なアンティークマーケットもたくさん回ります。お店用の什器や装飾、雑貨なんかも気に入ったものがあれば買って帰ります。
この時は馴染みのディーラーが出店しているブースの店番を頼まれました(笑) 店主側から見るポートベロー・マーケットの風景もまた、新鮮です。
スミスのコレクターと、ロンドンから離れた郊外の街のカフェでのんびり商談。
ジュエラーひしめくハットンガーデン。こういう古いお店にはデッドストックが眠っていたりするので、ダメ元ですが飛び込みで古い時計を持っていないか聞いてみる。
イギリスの街を歩いていると、しょっちゅう目にするのが街頭時計。個人的に新しい街に行くと見たこともないものがあったりして、毎回ワクワクするポイントのひとつ。
まずいまずいと言われるイギリスの食ですが、僕の中ではイングリッシュブレックファストは毎日食べても飽きない。おすすめはローカル。フルブレックファスト6£でお腹いっぱい。最高です。
そして欠かせないのが、ホットチョコレート。コーヒーだとトイレが近くなるので、旅行で外歩きが多い人はおすすめです。こっちのカフェには絶対あります。
この買い付けの前年となる2018年に来たとき予算オーバーで泣く泣くスルーしたスミス。この時の買い付けで再会し、無事お迎えすることができました。こういう運命的な買い付けがあるから、仕入れた腕時計はどれも僕の中では唯一無二の思い入れがあります。
そして恒例のadvintage的ストリートスナップ。もう撮影も慣れたもんです。
そして二週間ほどの買い付けの旅も終わり、帰りの空港で一息ついていろいろと振り返ります。 買い付けの達成感だけでなく、気に入ってくれるお客様に出会えるかという不安と期待、それらをすれば一番魅力的に紹介できるかを想像するワクワク感など、いろいろな感情が入り混じる特別な時間です。
やっぱり自分自ら直接現地に買い付けに行くことがadvintageのモットーで、昔「舶来時計」と呼ばれていた時代の特別感を、現地で買い付けたアイテムを現地の空気ごとお届けすることで表現できればと常々思っているのですが、このコロナ禍ではまた新しいやり方を考える必要がありそうです。
最後の写真は、常宿の窓。またここから始められるようがんばります。
それでは。
]]>
■知られざる英国製時計メーカー「スミス」
▲19世紀末頃、当時宝飾品店として営業していたスミスのショーウィンドウ
スミスは高品質な機械式時計はもとより、自動車などの計器類の製造を行なっていたイギリスの名門時計メーカーです。その歴史は古く、1851年にサミュエル・スミス がロンドンで創業した宝飾・時計販売店「S. Smiths & Son」にはじまります。
» 詳しくはこちら
特に豊富なバリエーションを誇る人気モデル「デラックス」をはじめとするモデル・バリエーションはもちろん、戦後間もなくリリースされたスミスの初期モデルも、黎明期ならではのプリミティブなテイストが入り交じる表情が魅力的。
■エベレスト登頂をきっかけに
スミスの腕時計が初めて世に知られたきっかけは、ジョン・ハント率いる英国のエベレスト遠征隊による1953年5月29日の世界最高峰初登頂と言われています。その際人類で初めてエベレストの頂に立った冒険家エドモンド・ヒラリー卿の腕にあったのが、厳しい環境下でも正確な時間を刻むスミスの「デラックス」でした。
スミスの腕時計の筆頭に挙げられるのが、1951年から製造が開始されたスミスのベストセラーモデル「デラックス」。その信頼性の高い英国製ムーブメントは言うに及ばず、豊富なデザインバリエーションを持っています。9金無垢をケースに用いたドレッシーな腕時計は、落ち着きのある輝きと控えめな表情に魅了される逸品揃い。そのデザイン性はいずれも懐が深く、意外なほど洋服を選びません。
▲銀無垢のデニソン社製アクアタイトケースを装備した幻の「デラックス」。1954年製
▲デラックス・シリーズは文字盤デザインだけでなく、テクスチャーもユニークなバリエーションが存在
▲おそらく「デラックス」の中でも最もゴージャスな文字盤デザイン。贅沢なギョーシェ彫りが中央に施される
そのエベレスト登頂を記念し、デラックスを越えるフラッグシップモデルとして翌年1954年にリリースされたのが、その名もズバリ「エベレスト」。
基本設計はデラックスに依拠しつつ、受け石が通常よりも多く用いられたハイエンドなムーブメントを採用しているのが特徴です。ただし製造個数は極端に少なく、スミス屈指の希少モデルのひとつとなっています。
■その後も続々と名作をリリース
デラックス、エベレストに続いて発表され、1960年代末までロングセラーを続けたのが、「アストラル」。
デラックスに負けず劣らず豊富なバリエーションを誇り、当時のトレンドを反映したシンプルかつモダンなデザイン性が特徴です。ちなみにこのアストラルの名前は、元々19世紀にH.ウィリアムソン(H. WILLIAMSON LTD.)社が保有していたブランド名で、後にスミスに吸収された珍しい経緯があります。
▲アストラルの中でも唯一、楔形インデックスが三面カットの立体成型となった特別なモデル。
アラビア数字も微妙に細身で上品さを増している
■新型ムーブメントの開発
さらに1958年、スミスは新たに新型ムーブメントを開発します。レイアウトを大幅に刷新し、受け石を19石とした事実上の最高位機種、CAL.1014。このムーブメントを搭載した新たなフラッグモデルが、こちらの「インペリアル」です。ロゴは筆記体に一新された一方、デラックス・シリーズに冠せられていたクラウンロゴはしっかりと継承されています。
これがスミスの最晩年モデルであり、アストラルとともに1960年代末までリリースされたスミス最後のハイエンドモデルとなりました。
▲左はスミスの腕時計の中でも数少ない、25石の自動巻きムーブメントを搭載したオートマティックモデル。
右はオールSS製ケースを採用した、こちらも希少モデル。
■貴重な初期モデル
忘れてはならないのが、スミスが初めて国産腕時計の製造を開始した1947年から、デラックスがリリースされる1951年まで、数年間だけ製造された数少ない初期モデル。
スミスのロゴのみ冠せられたシンプルな文字盤。デラックス以降のスミスの腕時計デザインとは明らかに異なる、プリミティブな表情。「プレ・デラックス」とも呼ばれますが、これを抜きにスミスは語れません。
そのケースはいずれも英国のウォッチケース専業メーカー〈デニソン ・ウォッチケース・カンパニー〉が手掛けており、その後数多くのスミスの腕時計は、このデニソン社がウォッチケースを手掛けることになります。同社はロレックスやオメガといった名門ブランドのケースも数多く手掛けており、ケース専業メーカーの草分けですが、スミスはムーブメントはもとより、ケースまで英国製にこだわった数少ないウォッチメーカーと言えます。
ちなみに「デラックス」シリーズが初めてリリースされた1952年は、この初期型のデザインにDE LUXEのロゴと王冠マークを持つ唯一の年。製造数が極端に少なかったためその姿を見ることはまずありませんが、この超レアモデルも今回入手に成功しました。スミスの腕時計のデザインがダイナミックに移り変わっていく過渡期。
■他社別注モデルの豊富なラインナップ
まだまだ忘れてはならない存在があります。それが最後にご紹介する他社別注品です。
当時〈J.W.ベンソン〉や〈ガラード〉をはじめとした英国の宝飾品販売店は伝統的に自社ブランドを冠した腕時計を販売していましたが、その製造を担ったのは主にスイスの時計メーカーでした。しかし戦後すぐ、スミスが純英国製の腕時計を作り始めたことは、彼らにとってまさに朗報。スミスは様々な英国ジュエラーの腕時計の別注を行い、そこにも多くの名品が生まれました。
中でも特にバリエーション豊富なのがJ.W.ベンソンの腕時計です。
デザインのベースはスミスの腕時計を踏襲しつつ、アレンジが効いているのがスミス製ベンソンの特徴。とりわけローマンインデックスの文字盤はアイコニックで、当時ほとんどのスミス製ベンソンはこのローマンインデックスがモチーフとなります。
英国王室御用達ジュエラーとして名高いガラードも、スミスに別注品を依頼しています。特に有名なのが、デニソン社の名作「アクアタイト」の金無垢モデルを使用したウォータープルーフケースの腕時計。スナップバックに比べずっしりと重量感があり、クラシックなドレスウォッチながら実用性が高いのが特徴です。
▲デニソン社製アクアタイトケースを装備したゴージャスなモデル。ブリストル、
フォードといった自動車関連企業のプレゼンテーションウォッチが目立つ
隠れた老舗ジュエラー〈ジェームズ・ウォーカー〉は、スミスの腕時計を取り扱う一方で自社名を冠した腕時計を別注していた珍しいリテイラーのひとつ。こちらは初期型が製造されていた1940年代末頃のものですが、ベンソンとガラード以外のジュエラーはほとんどこの時期、つまりスミスが腕時計の国産製造開始に乗じた形で別注が多かったようです。
ここまでスミスの豊富なバリエーションが揃うのは、後にも先にも今が最後かもしれません。
この記事に載っているスミスもごく一部です。気になる方は是非お問い合わせを。
]]>
(https://www.artofmanliness.com/articles/matching-your-watch-with-your-clothes/)
もちろんわかりやすくしたドレスコードとは言え、男のファッションがたった4つのタイプでまとめられていることに辟易しただけでなく、服のスタイルに従属する腕時計という印象があって違和感を感じてしまった。
メンズファッションはもっと自由で幅広いものだし、まずもってここに出ている4例はファッションというよりただ服を着てるだけ。特に今回テーマに選んだドレスウォッチの最適解とされる蝶ネクタイのドレス男。おしゃれかどうかはさておき、そもそも現実的じゃない。ここまでやるなら、もはや腕時計はつけないのが一番ドレッシーという意見すらある。
今僕等に必要なドレスウォッチって、それこそTシャツ男のようなスタイルにもバランスよく上品さをプラスしてくれるような、もっと自由でファッショナブルな存在なんじゃないか。絶対にスーツに合わせないといけないなんて、もったいない。もっというと、メンズだからって関係なくて、女性が着けたらそれだけでももうカッコいい。
今回はそういうスタンスで、ドレスウォッチを見つめ直してみたいと思います。
]]>
"MOON SURFACE"
"BROWN-CHANGED DIAL"
"SUN-KISSED DIAL"
"GALAXY DIAL"
]]>
Alpina 1930'S
MOVADO "CURVIPLAN" CHRONOMETRE 1930'S
PROVITA 1940'S
]]>