アンティーク腕時計専門店|アドヴィンテージ - advintage -





Brand Story: File 10...CRUSADER
2017.04.15 Saturday | category: Brand Story

英国顏の腕時計。
なんとなくお分かりでしょうか、この顔つき。控えめで偏屈、そして味わいのある顔です。
 

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いずれも英国市場にのみ流通した腕時計。その土地の美意識に即した結果なのか、三針のスモールセコンドという点を除いても、感性の近いデザイン性が伺えます。

そして今回注目したいのは、中央にある〈クルセイダー〉という腕時計。

ご存知の方はほとんどいないと思います。

 

 

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僕がこの腕時計に惹かれるのは、その英国顏100%のデザイン。彫りの深い表情。特にアラビア数字の存在感や風合いが、飛び抜けて良い。クラシカルで美しいルックス、完璧なレイルウェイ・インデックスが全周を包括しているのもニクい。


その素性はほとんど明らかになっていません。が、僕は今までに何度か出会ったブランドで、ずっと気になって探していました。数少ない情報を纏めると、そのブランドは1872年にバーミンガムで設立された〈アディ&ラブキン(Adie & Lovekin Ltd.)〉というイギリスの銀製品メーカーが、1940年代に展開していた腕時計のブランドということになります。

 

 

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この〈アディ&ラブキン〉、1968年に閉鎖されるまで主にシルバーの皿やカトラリーその他の銀製品を製造していました。ジュエラー(宝飾品店)が腕時計ブランドを持つということは、英国以外にも世界的なブランドを含めて数多く例があります。しかしジュエラーでも時計メーカーでもなく、「シルバースミス(Silversmith=銀細工師)」が腕時計ブランドを展開するというのは、とても風変わり。それでいて、非常に英国らしい背景と言えます。

クルセイダーの腕時計は、市場では1930年代から1950年代後半頃のものが散見されます。スイス製のムーブメントを輸入し、英国内でケーシングする、典型的なエタブリスール・ブランドですが、その仕様は極めてユニークなものです。

その腕時計の多くは、この画像のように透明なフィルムを用いたシーリングキャップを備えています。中には天然ゴムで固定してあり、「クルセイダー・ギャランティー・シール」と称して、このシーリングが無事であれば補償対象とする旨を明記してある腕時計もあります。ちなみにこちらは緩急針とリューズ取り外し用のビスを操作できるようスリットが入ったタイプ。

 

 

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さらに特筆すべきは、クルセイダーの腕時計のほぼすべてがデニソンケースを採用しているということ。ステンレススチールはもちろんのこと、銀無垢のケースも存在します。

デニソンケースと言えば、英国が誇る高品質ウォッチケースの代名詞。〈ロレックス〉や〈オメガ〉の英国市場向けモデルの多くには、この〈デニソン〉社のケースが採用されています。当然ながら英国時計の雄〈スミス〉も、このウォッチケースブランドを好んで使っていました。

トップに挙げたの3本の腕時計に、デザイン性以外にも何となく似ていると思った方はさすが。いずれもデニソンケースを採用したモデルです。〈ティソ〉〈クルセイダー〉〈スミス〉と、ブランドは違えどその美しいケースフォルムは唯一無二。

※関連記事 ≫≫デニソンケースについて

 

 

またベゼル一体型のワンピースケースと、溝が深く切り込まれた密閉製の高いスナップバックにより防水性が高められた特殊な構造は、“MERMAN(人魚)”のペットネームをまさに体現しています。「デニソンケースにこんなバリエーションがあったのか」と、僕自身も驚かされたモデルでもありますが、スクリューバック式がまだ最新技術であった時代、腕時計の防水性について様々な試行錯誤が行われた愛すべき時代の産物と思うと、その存在感も増幅します。

 

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クォーツショック以前は、星の数ほどという形容詞が当てはまるくらい、本当に数多くの時計ブランドが存在しました。通り一遍等のものもあれば、現代では考えられない異色な世界観を持つものもあり、〈クルセイダー〉というブランドは、その良さを正しく見出されるべきブランドのひとつであることは言うまでもありません。

 

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A brief history of SMITHS
2017.03.14 Tuesday | category: Brand Story

メイド・イン・イングランドにこだわり続けた孤高のブランド、〈スミス〉。


スミスの歴史は、1851年にサミュエル・スミスがロンドンで創業した宝飾品・時計販売店から始まります。古くはスイスと肩を並べる時計製造技術を持っていた英国でしたが、二度の世界大戦によって老舗メーカーの工場が壊滅的な被害を受け、そのブランドの多くはスイス製のムーブメントにシフトせざるを得ませんでした。

一方スミス社は、元来持っていた高い時計製造技術を生かし、当時隆盛したモータースポーツの分野において、車載時計やスピードメーターの製造で危機を切り抜けました。結果スミスのスピードメーターはアストン・マーティンやローバー、トライアンフといった英国メーカーにこぞって採用されることになります。

戦後になってスミスは、新たに腕時計の製造を開始。ロンドン近郊、チェルトナムの自社工場で作られる純英国製の腕時計は、1953年に新たな画期を迎えます。その年ジョン・ハント率いる英国登山隊が人類初のエヴェレスト登頂を目指し、その頂に立ったエドモンド・ヒラリー卿がスミスの「デラックス」を着用していたのです。この歴史的偉業により、スミスの腕時計の信頼は揺るぎないものとなりました。

これ皮切りに、1950年代から1960年代にかけて数多くの腕時計をリリースし、スミスは英国製時計メーカーとして不動の地位を得ます。しかし1960年代後半、電池式のクオーツ時計が開発されると、いわゆるクォーツショックがスイスを中心とするヨーロッパの時計産業を襲い、星の数ほどあった中小の機械式時計工房は、そのほとんどが閉鎖に追い込まれました。オメガ、ロンジンといった名門が、クオーツムーブメントの導入に舵を取って生きながらえる中、スミスは英国製の機械式ムーブメントにこだわり続けた結果、時計製造分野からの撤退を余儀なくされました。

スミス特有の控えめながら芯の通った質実剛健な雰囲気は、英国製にこだわって散ったスミスの矜持が生んだ、唯一無二の魅力と言えます。

 

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Brand Story: File 9...Mido
2016.10.16 Sunday | category: Brand Story

当時のハイテクを凝縮した最先端のスポーツウォッチで知られる、《ミドー》の「マルチフォート」。

やや小振りなケースサイズが大きな特徴ですが、そのデザインは文字盤と同様にバリエーションに富んでいて飽きさせません。今回はその歴史と、バリエーションに焦点を当ててご紹介します。
 

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ミドーは1886年にジョルジュ・シャーレンが、スイスのソロトルンで創業した時計メーカー。1920年代までは、当時流行したアールデコスタイルの腕時計が中心でしたが、1934年「マルチフォート」の発表を機に、そのブランドイメージは従来の古典的な印象から、革新的な技術力と高いデザイン性へと一新しました。

 

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当時の広告にはスポーツイメージが多用され、高いウォータープルーフ(防水)機能と腕の動きによる効率的な自動巻上げ機構を備えた腕時計という、先進性が強調されたものになっています。

 

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下は“WINDS AS YOU GO”が合い言葉となる一連のスポーツシリーズの広告の中でも、”GO”が”SWIM”に差し替えられたバージョン。マルチフォートは当時、徹底的なテストを経て完成したシリーズとしても名高く、防水テストに置いては真水と海水の両方に1,000時間以上浸け、さらに水深120mにおける使用テストもクリアしなければいけないという徹底振り。

 

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この、ミドーの代名詞とも言えるロングセラーモデル「マルチフォート」は、防水性、耐水性、対磁性さらに自動巻きムーブメントという4つの利点を取り込んだ、当時としては過去にないハイスペックな腕時計として人気を博すと同時に、《エルメス》がレザーベルトを制作してミドーの腕時計を販売しており、デザイン性における評価の高さも窺い知れます。下は1937年のエルメスの広告。

 

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当時エルメスが販売していたマルチフォートと同じモデルが、次の画像の右の腕時計。エルメスも惚れ込んだ品のあるケースデザインと、アール・デコ的なレイルウェイ・インデックスが印象的。現在のアップルウォッチのような革新性とデザイン性を兼ね備えた存在であったことがうかがい知れます。ちなみに左は、小振りなケースが特徴のマルチフォートには珍しいラージモデル。

 

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そして数あるミドーのマルチフォートの中でも、特に珍しい文字盤が採用されているのがこちら。ブラックミラーダイヤルにホワイトのレイルウェイ、夜光アラビア数字といったミリタリーテイストが強調されたデザインに加え、ブランドロゴが大文字になっています。

 

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オクタゴンケース、シリンダーケースといった変則的なケースデザインが多いのもマルチフォートの特徴ですが、下のようなオーセンティックなラウンドケースは逆に新鮮。右は《オイスター・ウォッチ・カンパニー》の腕時計で、丸みを帯びたベゼルと「マジェスティックダイヤル」と呼ばれる24時間計インデックスを備えた文字盤など、共通項の多い2本。

 

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同じものを探すのが意外にも難しい、多くのバリエーションを誇るミドーのマルチフォート。使い勝手の良い堅牢な構造とセンスの良いデザインで、個人的にイチオシのブランドです。



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Brand Story: File 8...OYSTER WATCH CO. & The "Oyster Case"
2016.08.04 Thursday | category: Brand Story

夏場に威力を発揮する、防水設計の腕時計。

アンティークォッチにおける防水ケースの代表格といえば、オイスターケースを抜きにしては語れません。オイスターケースは、ロレックスのみならず、《チュードル》など同社傘下のブランドにも同じものが使用されていることでも有名です。
 

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特に重要な存在であったのが、《オイスター・ウォッチ・カンパニー》。

オイスター社にかんする情報は非常に乏しいのですが、1920年代にロレックスが買収・取得したオイスターケースの特許技術を伴って、いわばロレックスのディフュージョンブランドとして傘下に発表されました。ロレックスと同じケースを使用し、ムーブメントはフォンテンメロン(FHF)社のCAL.59を使用するという形式で、カナダ・北米を含めた比較的幅広い市場に展開しました。その後1940年代に、同じロレックスのディフュージョンブランドである《チュードル》が発表されると、オイスター社はその役割を終えるかのように市場から消えることになります。

ちなみに、北米におけるロレックスおよびオイスター社の最初の販売代理店として知られるのが、あの《アバクロンビー&フィッチ》。現在はアパレルで知られるブランドですが、当時は主にハイエンドなアウトドア用品チェーンとして北米で確固たる地位を占めていました。堅牢なオイスターケースは、特にスポーツやキャンプといったタフなアウトドア・シーンにマッチするアイテムとして、同社が選ばれたという形です。

ロレックスと同じオイスターケースを使用し、かつバリエーション豊富でクラシックな文字盤デザインを持つオイスター社の腕時計は、advintageでは特におすすめしたいブランドのひとつ。今回は、このオイスターケースについて紐解いてみたいと思います。

 

 

ロレックスの専売特許というイメージの強いオイスターケースですが、その歴史をたどってみると、ロレックスの創業者ハンス・ウィルスドルフの計算高い特許買収工作が見えてきます。

 

初期のオイスター社の腕時計の裏蓋には、その先進性を訴えるかのように数多くの特許番号が見られます。英国、スイス、米国と三ヶ国で特許番号が異なるため、数字の羅列が多くなっていますが、実際には大きく分けて2つの技術が用いられています。

 

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その特許技術のひとつが、独特のねじ込み式防水ケース。刻印されている特許番号は、英国(BRITISH PATENT)が”274788”、スイス(SWISS PATENT)が”120851”で、1926年にロレックス社によって取得されています。

ウィルスドルフが夕食の際、牡蠣を開けて食べるのに難儀した際に思いついたとも言われるオイスターケースですが、1926年の特許内容が示す内容は、一般的に知られるミドルケースをベゼルと裏蓋の双方からねじ込むという構造とはひと味違います。つまり、外周がねじとなったケーシングリング(中胴)がミドルケース内でムーブメントを包み、それを直接ベゼルと裏蓋の双方からねじ込むという、いわば二重の構造となっていることがわかります。

 

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こうしてみると、ケース自体が複数のパーツから構成されていたことが分かります。このねじ付き中胴を伴った複雑なオイスターケースは、実際にはほとんど初期(1920年代〜30年代)のモデルにしか実装されていません。コストダウンが主な目的と思われますが、以降のロレックス系ブランドに用いられる高度な金属加工技術を伴ったオイスターケースの高い防水性能は、もはや説明不要。

 


そしてオイスターケースを特徴付けるもうひとつの特許技術が、スクリューロック式のユニークなリューズ。特許番号は、英国が"260554”、スイスが”114948”。

とりわけ重要なのが、この”114948”の特許番号。これはポール・ペルゴーとジョルジュ・ペレという2人の人物によって1925年にスイスで取得されています。翌1926年にロレックスのウィルスドルフがこれを買収した後、同年英国で”260554”として新たに特許を取得しています。

 

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この特許における画期的なリューズの防水構造は、その後のロレックスのオイスターケースの原点と言えますが、いくつかの欠点を備えています。

ひとつは、16の数字が示すゴムパッキンの存在。ゴムパッキンは基本的に使用の度に劣化していくため定期的な交換が不可避で、完全防水を目指すウィルスドルフ自身、ゴムパッキンによる防水を信用していませんでした。

さらにもうひとつの欠点は、リューズ操作スクリューロックおよび解除を行う際、巻真(4)も一緒に動いてしまうという点。この構造では半時計回りにリューズ(8)をねじ込むことでロックできる一方、一度巻き止まりまでゼンマイを巻き上げた後ロックしてしまうと、ある程度稼働させてゼンマイを解放させなければ時計回りにリューズが回らず、スクリューロックの解除ができないという弊害が残っていました。

これらの欠点を解消したのが、1926年にウィルスドルフ自身が取得した改良型スクリューロック式リューズの特許です。英国の特許番号”274788”、スイスは”120848"になります。

 

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画期的なのは、赤く塗りつぶされた部分(9)と黄色の部分(12)で示されるクラッチ式のジョイント構造です。ロック状態から解除する際は、巻真はそのままでリューズのみが回転し、ロックが解除されるとバネの力でリューズが上部に押し出され、同時に9と12が噛み合い巻真(5)とリューズ(4)が一緒に動きます。さらに従来のゴムパッキンを排し、内部のシーリングソケット(6)を備えることにより、防水性を確保している点も見逃せません。

 


以上の2つの重要な特許技術がロレックス・オイスターの屋台骨と言えます。いかにも堅牢な風貌のオイスターケースは、これら非常に繊細かつ斬新な設計の元に成り立っているのです。

まさに質実剛健。特徴あるフォルムは、伊達ではないってことですね。

 

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About a Man: Robert Lenoir
2016.03.12 Saturday | category: Brand Story

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1944年、イギリス国王ジョージ6世に時計部品の説明をする黒縁眼鏡の男性。

彼の名はロベール・レノア。当時《スミス》社のテクニカルディレクターを務めていました。スミス社は戦後初めて英国の国産腕時計ムーブメントの大量生産に成功しますが、その影で彼が大きな役割を果たしてたと言われています。
☞スミスの歴史について


ロベール・レノアという人物

レノア自身に関する情報はそれほど多くはありませんが、以下にその経歴をまとめます。

・フランス生まれ。スイスで時計製造技術を学び、フランスの《エドモンド・ジャガー》社の自動車計器部門で働く。
・1920年に英国におけるジャガー製品代理店の営業不振の改善のため、ロンドンに派遣される。
・1921年、《エドモンド・ジャガー・ロンドン》社を設立。レノアはそのディレクターに就任。
・1927年にスミス社がエドモンド・ジャガー・ロンドン社の大株主になり、事実上の子会社化。同社は1931年に《ブリティッシュ・ジャガー・インストゥルメンツ》社と改名され、レノアはスミス社に雇い入れられる。
・1928年に子会社《オール・ブリティッシュ・エスケープメント・カンパニー》を設立、1931年に本社を《スミス・イングリッシュ・クロックス》と改名すると、スミス社は脱進機の国産化を進める。その中でレノアは一貫してテクニカルディレクターとして尽力する。
・1946年、スミスが国産腕時計ムーブメント”1215”を発表。以降スミスの腕時計に付属する保証書にレノアの名前が記載される。

以上が大まかな彼の経歴です。
 
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スミス・ムーブメントにまつわる誤解

今回ロベール・レノアという人物をテーマに挙げたのは、「ジャガー・ルクルトの技術が、戦後スミスが生み出した英国製の腕時計ムーブメントを可能にした」という誤解を解くためです。「スミスが1930年代末にルクルトの凄腕技術者であるレノアを招聘し、英国独自のムーブメントを開発した」とまで言う人もいますが、何の根拠もありません。当然ながらスイス製のアンクル脱進機などのノウハウは底流にありますが、通称1215(トゥエルブフィフティーン)と呼ばれる彼らのキャリバーは、真に英国製プロダクトとしてのオリジナリティがあるのです。

周知のとおりジャガー・ルクルトは、1937年にフランスの《エドモンド・ジャガー》社とスイスの《ルクルト》社が合併して生まれたブランドです。そもそもその両者が出会ったのは、1903年にジャガー社がスイスの時計職人に対して募集した極薄キャリバーの開発話の際、ルクルト社がその仕事に情熱を持って応じたことがきっかけとなります。

エドモンド・ジャガー社は元々海軍向けのマリンクロノメーターの製造で躍進した企業で、その後モータースポーツ事業を展開し、その車載計器部門にいたのがレノアでした。もともとスイスで時計製造技術を学んだ彼は、テクニカルディレクターとしてジャガーのクロックムーブメントの開発・製造というキャリアを経て、1927年からスミスに移籍します。当然ながらその時ジャガー・ルクルトというブランドはまだ存在していません。

フランスのジャガー社とスイスのルクルト社が英国に共同で設立した《エドモンド・ジャガー・ロンドン》社、そしてその大株主となったスミス社、その後ジャガー社とルクルト社の支援を得てスミスが設立した子会社《オール・ブリティッシュ・エスケープメント・カンパニー》。百歩譲って「ジャガー・ルクルトの技術が注入された」と言うならこの部分かもしれませんが、この工場はあくまでクロックの脱進機(エスケープメント)の製造が目的です。言うまでもなく腕時計のムーブメントとも異なり、その影響は非常に限定的であったと言わざるを得ません。


脱進機の国産化をめぐって

第二次大戦以前のスミスの主なビジネスは、自動車や航空機の計器類でした。その機器に不可欠な脱進機と呼ばれるムーブメントの機構は、スイスの時計メーカー《タヴァンヌ(TAVANNES)》から供給を受けており、技術的にも国内で自社生産するバックグラウンドを持っていませんでした。

ここで、脱進機の重要性に触れておきます。脱進機とは「アンクル」と「ガンギ車」という二つの部品で構成される時計ムーブメントの中枢で、時計の動きを制御する重要な機構です。
http://www.tokeizanmai.com/escapement.html

脱進機の国内大量生産という、ひいては時計製造の国産化へ向かう大きな一歩を実現するためにスミス社が目をつけたのが、1921年に設立されたエドモンド・ジャガー・ロンドン社でした。同社はフランスのジャガー社とスイスのルクルト社の共同出資によるもので、自動車のダッシュボード機器製造の分野で英国において躍進していました。スミスは1927年にこの工場の株式75%を取得、翌1928年にクリックルッドに《オール・ブリティッシュ・エスケープメント・カンパニー》という子会社を設立します。ヒゲゼンマイや受け石といった部品はまだスイス製でしたが、ムーブメントの中枢機構である脱進機の工場を手に入れたことで、結果的に脱進機をゼロから開発するコストと手間を省くことにスミスは成功したのです。

レノアはというと、その旧エドモンド・ジャガー・ロンドン社のディレクターを務めていたこともあり、そのままスミス社に雇い入れられます。しばしば見られる「スミスがロベール・レノアという有能な技術者に目をつけ、彼をジャガー・ルクルトからテクニカルディレクターとして引き抜いた」というレノアありきの説明は、当時のスミスの大局的な動きを無視したミスリードの結果と言えます。しかもそこで製造していたのは旧態依然としたジャガー社のムーブメントのコピーであって、彼はその時点ではまだ新しいムーブメントを開発したわけではなかったのです。


純英国製ムーブメントの開発

しかしながら、レノアの技術者としての腕は間違いなく一流でした。子会社化したジャガー社の受け売りでしかムーブメントを製造していなかったスミスにとって、スイス製に匹敵する腕時計ムーブメントを全て自社開発するという、戦後の一大プロジェクトにおけるレノアの功績は計り知れないものだったと思われます。

板バネ状の直線的なコハゼバネ、二個のビスで固定されるテンプ受け、特徴的な裏押さえといったユニークなパーツを持つCAL.1215は、スイス製ムーブメントとは明らかに異なる、レノア自身の経験と才能が生み出した傑作と言えます。自動車計器の分野でジャガー社、ルクルト社そしてスミス社という時計メーカーに翻弄され紆余曲折を経ながらも、彼は戦後スミスの英国製ムーブメント開発において決定的な仕事を残しました。その後レノアの退任とともにスミスも時計製造事業から撤退、彼は1979年に世を去ります。
 
※こちらは"SMITHS"のロゴも石数も刻印されない、おそらく最初期に製造されたと思われる貴重な1215。


このようにレノアのキャリアを精査してみると、決して主体的に動いていたとは言えないものの、その存在感は刮目に値します。「ルクルトの技術がスミスの英国製ムーブメントを可能にした」とは決して口には出来ませんが、そのような「伝説」を生むには十分足る人物だったのかもしれません。


《参考文献》
・James Nye, A Long Time in Making: The History of Smiths, Oxford University Press, 2014.
・John Glanville and William M Wolmuth, Clockmaking in England and Wales in the Twentieth Century: The Industrialized Manufacture of Domestic Mechanical Clocks, The Crowood Press, 2015.


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